このブログのテーマは古道である。古道は当然人が歩く「道」であるが、前回の記事で紹介したように、水が通る道も道であり、しかも清代、日本時代に開鑿された水道は台湾では古[土/川](しん)道と呼ばれていることに最近になって気付き始めた。具体的には、水路であり、川から水路に水を引き入れる水門等の構造、水道橋、橋等ということになり、これらが清代、日本時代のままのものがそのまま使われていれば遺構であり、記念碑でも残っていれば遺蹟ということになる。古[土/川]道という単語は台湾では今では定着して使われ出し、これらを巡る小さな探訪ツアーなども散見されるようになった。更に、これらの水路が発電所、上水道管理システムと繋がっており、日本時代に建設したそれらのすべて、又は一部がいまだに残存していれば立派な工業遺蹟ということになる。竹子門発電所はその好例であり、実は台湾にその類の遺蹟はまだまだある。今後もこのブログでは古道の周辺風景としてそれらの遺蹟、遺構を紹介する予定である。
以上の理由で、最近は車で走りながら、道路脇の側溝とか田畑の中を走る水路等に目を凝らすようになった。高雄から高速10号線を終点の旗山で降り、美濃を経由し六亀に到る県道184号線の沿線はよく車で往復する機会が多いことからこの県道に沿った側溝を新ためて見ていると、それらしきものが目に付く。冒頭の写真のものは、古[土/川](しん)道に纏(まつ)わる遺構と呼べるかどうかは別にして、これまで何度となく目にしていながら全く気に留めていなかったものである。興味が無ければ何も見えてこないし目暗同然だというのはよくある話である。(終わり)


先日、大津という集落を訪ね、ここの水路を調査してきました。日本統治時代に設けられた水道口が今も残っていましたが、詳細を突き止めることはできませんでした(これから文献をあたります)。この橋桁も次回訪問の際にはぜひ訪れてみたいですね。
大津とは、私がブログでも紹介した高雄県六亀郷、或いは、屏東県高樹郷の大津ですか?二つに分かれていますが、実際はくっ付いているようなものですが。日本の地名をそのまま付けたのは台湾各地に残っており同名も多いですので、別な所にも大津は存在するかもしれませんが。