【写真説明】【写真説明】2011年最後の古道紹介は、人口に然程膾炙していない合歓越道路の生き残り部分である。左写真と中央写真はその旧警備道への降り口の目印となる金馬トンネルと同トンネルのタロコ渓谷側口に設けられた休憩所。この休憩所の奥はテラスになっておりそこを越えて谷側に降りていくと、右写真のように細いロープが渡されており、そのまま古道へと降りれるようになっていた。本文記事下に掲載した左写真は実際の古道の様子、右写真はこの段が嘗ての警備道だったことを物語る路側石、「浸水営古道−3」や「関山越嶺古道−14」(左写真)に掲載した写真に写る敷石と同様なものである。
これまで紹介したサカタン歩道、天祥歩道、錐麓古道、緑水合流歩道、文山歩道等はハイカー、遊楽客を意識して整備されてきたが、これらの総延長は精々20キロ程度である。元々の合歓越道路の主線だけでも凡そ120キロあったので、中横建設時に破壊された部分があることを見込んでも、当然一般の人々の耳目から取り残された部分は相当あるはずだ。「合歓山越嶺古道−3」で紹介した中横本線の最高点、大禹嶺付近に残存する旧警備道はそのような例である。この段は5キロ程度とかなり長いのだが、私が台湾のネット上で往き遇った小学生の学習教材レポートで紹介されていた段は、実際現場に行ってみたら、即座に歩ける部分は総延長200メートル程度だった。それが今回紹介する段だ。
関ヶ原サービスエリアから中横をタロコ側に下るとやがて畢禄、金馬の二つのトンネルが連続する場所がある。金馬トンネルを抜けると中横右端にトイレ兼休憩所が設けてある。ここから降りていく。。。というのは判っていたのだが、実際何処を降りていけばいいのか?は皆目見当が付かず、一切の目印がないからだ。同トンネルの逆側出入口付近を探してみたりとか周辺を随分うろうろした。殆ど諦めかけて、最後はやけくそで休憩所の柵を越えて踏み跡がありそうな部分を選んで谷側に降りてみた。すると手摺代わりの細いロープが張られているのに出会った。これは嬉しい瞬間だった。それを伝い降り切ると、夕陽の木漏れ日の中に旧警備道がひっそりと佇んでいた。
この段はこれまで私が目にした出版物では紹介されていない段である。同地点は畢禄神木サービスエリアの上方に当たる。「合歓山越嶺古道−4」でカラバオ農場、並びに旧カラバオ社のことを紹介した。その時の記事でも記したが、畢禄神木からカラバオに至る登山道は旧警備道ではなく、あくまで同農場に至る作業道と言った方が適当なのだが、現在の台湾に於ける紹介では例外無く古道扱いになっている。実は今回紹介した段こそが、関ヶ原→畢禄→カラバオへ至る旧警備道の生き残りであるのは間違い無い。
古道に降り立った時、そのまま歩ける段がどの程度残存しているのかは全くアイディアが無かったし、時間も押していたので、上り、つまり関ヶ原方面へ辿り現在の中横との位置関係を確認することにした。というのは、下り方面はやがてはカラバオ農場に降り立つと踏んでいたからだ。幸か不幸か、上り方面は既に金馬トンネル下方で途切れていた。それで下り方面がどうなっているか?確認する為に歩き出すとすぐに小さな崩壊部に行き当りそこで古道は途切れていた。未だ休憩所駐車場下の部分だった。それですっかり踏ん切りが付いた。(終わり)
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