【写真説明】錐麓古道の東西入口は両方とも橋が目印である。左写真は東側入口である錐麓吊橋、中央写真はその吊橋越しに断崖道路が開鑿されている方面(向かって右側の岩盤上方)を望む。右写真は西側入り口である慈恩橋。
<台湾古道の白眉=「錐麓断崖道路」>−3
以前、八通関古道に関する記事投稿の中で、父子不知断崖の一段を紹介し、高所恐怖症の人はまず歩行不能と書いたが、実際は断崖面を見ずとも歩けるぐらいの道幅と、まだまだ断崖自体にスロープがあるのだが、錐麓古道の方は完全に垂直な断崖面を開鑿、特に錐麓断崖自体の段は道幅も90センチ程度、しかも道路側面の開鑿された山側以外は全く視界を遮るものがない。中横が足下に見えているので、恐怖感が募る。以前は崩壊部が多く、現在整備された段を歩き通すのに数日を要していたが、今はゆっくり歩いて片道5〜6時間あれば十分だ。
今現在開放されている段は、東側は燕子口のタロコ峡谷入口側、西側慈恩橋の間で、東から西に向かいゆるやかに下っており、又、慈恩橋から森林部、崩壊部を経て古道に往き合うまではかなりの急登を強いられるので、燕子口からの入山を薦めたい。その際の錐麓古道の残存している日本時代のランドマークを中心にしたコースは以下の通りだ。どちらから入山しようが、古道に出会うまでの一時間前後の急登を凌いでしまえば後は殆ど平坦なので、特別な登山技術、装備は必要ない。
[錐麓断崖道路ランドマーク]
燕子口→錐麓吊橋→バタカン駐在所跡→バタカン二号吊橋→一号トンネル→二号トンネル(地蔵菩薩+大正時代の日本人落書き)→[錐麓断崖]→断崖駐在所跡→「故花蓮港庁巡査班長持舘代五郎之碑」(殉職碑)→錐麓駐在所跡→慈恩橋
(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
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