【写真説明】左写真は天祥を見下ろせる中横脇に設けられた展望台「豁然亭」、その付近から実際天祥を見下ろした写真が二枚目である。豁然亭は天祥歩道と呼ばれる観光客に開放された遊歩道上部入口(出口)。その豁然亭直下に華表(門柱)が立ち、「峰路廻盤」その両脇に「竚雁」、「飛鴉」と書かれてあるが意味不明、無論、国民政府になる物。右写真は歩道の様子。
<合歓山とタロコ戦役軍用道路>−3
尚、タロコ峡谷内にも当時の軍用道路が整備され一般の観光客に開放されている歩道がある。中横が天祥を過ぎて本格的に高度を上げ出すと、天祥一帯を一望出来る中横脇に「豁然亭」という展望台が設けられている。その展望台と天祥との高度差が約300メートル、ここか一気呵成に天祥に向かって文字通り駆け降りるように開鑿された段で、今は天祥歩道と名付けられている。残念ながら、2009年の八八水災(モーラコット台風)は、この嘗ての軍用道路の下半分を完全に崩壊させてしまい、今歩けるのは上段のみになった。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
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