【写真説明】左写真は合歓山東峰登山中に登山口方面(北)を振り返る。赤い屋根の建物は合歓山荘、日本時代の石門駐在所を襲った。同写真に写るピークは写真手前より、合歓尖山(氷河遺跡)、石門山、石門山北峰。中横は合歓山荘の右脇から続く白い線、写真奥で二つに枝分かれしているが、その右側の白い線は石門山頂上への登山道、台湾で一番短い台湾百岳登山道。石門山と石門山北峰との鞍部を中横は越えていくのだが、その鞍部は克難関と呼ばれる。元々は鬼門関、洞穴であり、その為に日本時代に石門山と名付けられたのだが、中横建設時に発破で吹き飛ばした。中央写真はその克難関横から石門山頂上へのショートカットを試みるハイカー。ここからなら頂上まで5分か?こんな場所には元々は登山道はなかったのだ。その克難関を逆側から望んだのが右写真。同写真右上に克難関を越える中横、その奥に見えている峰は合歓山東峰、左側大崩壊を呈しているのが石門山北面。
<合歓山とタロコ戦役軍用道路>−1
霧社側から合歓山越えを目指す場合、まず、太魯閣国家公園の境界碑と昆陽派出所(日本時代の合歓山駐在所跡)に至ると眼前を遮るような勢いで合歓山東峰の大きな塊が飛び込んでくる。その先の武嶺まで至ると、氷河遺跡(註9)を覆う低い笹(玉山箭竹)の緑の絨毯がうねるように何処までも広がっている様に圧倒されてしまう。その絨毯の広がりを単調に感じさせないように巧みに配された針葉樹(台湾二葉松、台湾冷杉)とのコントラストが織りなす自然の造形は素晴らしく、春には、まずツツジ(紅毛杜鵑)、その後、シャクナゲ(杜鵑)が咲き乱れる。
台湾の百名山、「台湾百岳」登山は台湾人ハイカーの目標、合歓山群峰はその美しさだけではなく登山経験が然程無くても短時間で登れてしまう簡便さ故、百岳登山の入門コースとして人気がある。実際、合歓山主峰と石門山(標高3,237メートル)は登山客のみではなく一般の観光客にも開かれた百岳、主峰ならコースにも依るが1時間弱、石門山は15分程度で頂上に立てる。石門山を百岳中、最も簡単に登れる山たらしめているのが中横、合歓山主峰、東峰、石門山に加え、北合歓山(同3,422メートル)、西合歓山(同3,145メートル)の五峰全部を二日間で登攀出来る。
台湾人にとり合歓山が殊の外特別なのは、冬季の積雪だ。年々降雪量は減る一方なのだが、必ず冠雪する。なにしろ嘗てはスキー場があったぐらいだ。又、自動車道脇に落ちる小さな沢が氷結してちょっとしたアイスクライミングが楽しめるのではないかと思える程だ。北回帰線が国土のほぼ中間を横断し、緯度上は南半分が熱帯に属する台湾で、重装備で登山する必要もなく本格的な雪山を体験出来るのは、誠に驚くべきことで、それを万人に可能ならしめているのが中横だ。台湾を南北に貫く二本の高速公路(道路)のうち、東側の3号線と埔里の間が8号線で結ばれ、西側からの霧社、清境農場、そして合歓山方面へのアクセスが飛躍的に便利になった。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
(註9)「氷河遺跡」:合歓山荘付近では二箇所のカール(圏谷)を始め幾つかの氷食地形が確認されている。最もはっきりしたものは、同山荘後方に聳える合歓尖山(3,217メートル)で、台湾で唯一のホルン(氷食尖峰)だそうだ。この山も立派な三千メートル峰だが半時間も掛けずに登れてしまう。尚、台湾に於ける氷食地形研究のパイオニアは鹿野忠雄。
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