【写真説明】「台湾八景」の選定は既に清の時代にも行われていた。又、現代版台湾八景も選定されている。但し、通常は日本時代、台湾日日新報募集・選定(1927年、昭和2年)のものが今でも定番だ。北から順に;基隆旭岡(台北市)、淡水(台北市)、八仙山(台中市)、太魯閣峽(花蓮県)、日月潭(南投県)、阿里山(嘉義県)、壽山(高雄市)、鵝蠻鼻(屏東県)。各所に日本時代に立てられた選定記念碑が残っているのかもしれないが、私がこれまで目にしたのは、鵝蠻鼻(左写真)と八仙山(右写真)のものだけ。但し、八仙山のものは、戦後同地に建て直されたものだ。
<東西を繋ぐ古道の人文的な景観>
中横、即ち、合歓山越嶺古道は、現在の行政区画では西側の南投県と東側の花蓮県を繋いでいる。又、太魯閣国家公園のほぼ中央部を東西に横断している。同公園内西側の合歓山群峰に代表される自然景観を静の景観とすれば、タロコ渓谷は動の自然景観と呼べるかもしれない。これは偶然そうなっているというのではなく、既に1937年(昭和12年)、同地域が国立公園(註7)に指定され、理蕃道路と沿線の宿泊施設の整備が進み、観光道路としての装いを整えていったというユニークな背景があるからだ。
「古道」という呼称は多分に人文的だが、海抜ゼロから数時間の内に三千メートルを越える中央山脈を東西に横断する自動車道たる現在の古道を車で走り抜ける時、人文的な背景をも念頭に置きながら往来する観光客は非常に少ないと思う。台湾を代表する二つの大自然景観の真っ只中に自動車道が築かれ、それら自然景観は余りにも圧倒的だからだが、東西の「繋ぎ」を人文的な観点から見ると以下のような関係が浮かび上がってくる。
東側花蓮県側に集中しているタロコ族は従来タイヤル族としてひと括りにされていたが、長年に渡る正名運動の結果、2004年に12族目として認定された。他方、やはり同じくタイヤル族と看做されていた西側南投県側のセデック族は、2008年に第14族目の台湾原住民族に認定された。セデック族はタクダヤ、トゥダ、タロコ(註8)の三グループがあり、中央山脈を越えて花蓮県側に移住した中で、タロコが最大勢力になったという歴史的な経緯があり、本々は南投県側のセデックと出自は同じとされている。
この関係はそのまま、日本統治時代の台湾総督府対台湾原住民の抗争中、歴史的大事件として尚研究され続ける東側のタロコ族のタロコ戦役と西側のセデック族の霧社事件(1930年、昭和5年)に繋がっていく。実際、太魯閣国家公園管理処が同公園の紹介において他の台湾の国立公園との違いとして強調しているのは、自然景観と人文景観の融合という点だ。
昨年2010年は、霧社事件80周年ということで映画、講演、展示会、出版等を通じ様々な角度で論じられたこともあり、合歓山越嶺古道との関係では、以下、合歓山越え軍用道路とタロコ渓谷内の錐麓(すいろく)古道にスポットを当てて紹介していくことにする。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
(註7)「国立公園」:昭和2年、台湾八景の応募でタロコはその一つに選定、昭和10年には国立公園の候補地になり、昭和12年末、次高タロコ国立公園に指定された。次高(つぎたか)山とは現在の雪山(標高3,886メートル)で、現在は太魯閣と雪覇(雪山と大覇尖山の頭文字)の二つの国家公園に二分されている。台湾八景選定以降、タロコ峡谷への観光客が急増するのみならず、合歓越道路を利用した能高山、合歓山、奇来主山、畢緑山等中央山脈への登山が隆盛を極める。これら観光客、登山客の便宜を図る為に、宿泊施設も整備され、西側から霧社、追分、合歓山、関ヶ原、カラパオ、タビト、バタカンの七か所に設けられた。各々の宿泊所の間隔が当時一日で歩き通せる距離を意味する。
(註8)「タロコ族」:タロコ族最古の集落とされるのは、南投県仁愛郷合作村平生部落、トルワン社。霧社から省道14号線を能高山越嶺道西側起点を目指す途中で、蘆山村から分岐する合作産業道路沿線にもセデック族の集落が点在するが、最奥の静観部落、サード社の一つ手前の部落。
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