【写真説明】右写真は奇莱主山北峰直下から合歓山群峰を望む。本当は明確に各峰を示したいのだが、端折る。同写真左より右に順に、合歓山東峰、合歓山主峰、合歓山西峰、石門山、北合歓山。因みに同写真下部の陰は奇莱主山北峰。合歓山「連峰」と呼んでいいのかもしれないが、両側に切れ落ちる峰を共有していないという意味で私は専ら「群峰」と呼んでいる。尚、奇莱主山北峰山頂から同方向を眺望したものは「台湾百岳」のサイトを参照の事。右写真は中横脇の玉山箭竹の群生の中に残る中横建設予定地標。既に優に五十年を経てしまった。同写真奥に僅かにピンクの紅毛杜鵑(ツツジ)が覗く。実際は春になると合歓山群峰一帯、ツツジが咲き誇る。私の技量ではとてもその美しさと広がりは表現出来ず、初めて目にした時、当時のしょぼいデジカメで数枚写したきりでその後はカメラを向けないことにしている。ツツジに対し失礼という意味である。
<「合歓」の由来>
日本時代の読みは「ごうかん」、日本では「合歓(ネム)の木」との関連で説明される場合もあるが、これら二者は明らかに関係がない。
「合歓山」は日本統治が始まる以前から中国の台湾地方誌に記載があり、その位置が現在の合歓山と異なる為、由来に関しては諸説あり、現在まで確定したものがないようだ。台湾地名研究のパイオニアである伊能嘉矩(いのう・かのり)や阿倍明義の著書でも考証が無い。
合歓山群峰は幾つかの大河川、例えば、南下して台湾海峡に流れ込む濁水渓や大甲渓、東進して太平洋に注ぐタツキリ渓、の本流、支流の分水嶺だが、嘗てそれらの内主要な五本を総称して「五港泉」と呼んでおり、五港の台湾語発音を日本漢字音訳したのではないかという説が現在の台湾では流布している。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
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