2006年08月20日

『水の古道』竹仔門発電所(1)

Kodou-8.JPG【写真説明】竹子門発電所のバロック式と称される建築デザインを最も色濃く残してる側面。写真上部に避雷針があるが日本時代のものがそのまま受け継がれていると思われる。撮影場所は発電所上部の水門へ到る道路の途中から。発電に要する落差は僅か数十メートル、発電所の概観、並びに内部を参観するだけで十分価値はあるが、余裕があれば発電所上部の水門並びに水管等も含めて見学することを推奨する。写真左側から水は流れ落ち発電、その水は写真右側に放出されやがて美濃一帯に配水される。
茂林国家風景区の周辺地域も週末の逍遥には見所が多く、その代表が六亀郷の東隣の美濃鎮、客家[ハッカ]文化が色濃く香る田園地帯が広る。この田園地帯、美濃鎮と隣の旗山郷の境に横たわる旗尾山(標高316メートル:高雄十名山の一つで頂上に「昭和十四年二月十一日建立」の銘を持つ「旗尾山祠」あり)とそれに連なる山々が丁度屏風のような趣きになり山紫水明の妙味がある。これらの田園を潤しているのは[艸/老]濃渓[ろうのう・けい]から引き込まれた水であり、その灌漑システムは日本時代に建設されたものだ。

どこかで「世界遺産」に値すると書いてあったのを読んだことがあるが、日本人による台湾紹介を見ていてもなかなか登場しないので個人的には不思議に思っているのが、工業古蹟「竹子門発電廠」(国家三級古蹟)、台湾で最初に造られた発電所だ。美濃から六亀に抜けていく県道184号線から少し路地を入った所にある今は台湾電力が管理している発電所、「古蹟」でありながら実はいまだに現役、現在でも電気を供給し続けている。狭い路地を入り暫くすると「明治四十二年十二月二十廿七日」(1909年)と彫られた石柱に出食わしまずびっくり、バロック調と説明されている建物の格調の高さと古さに二度目のびっくり、構内のドイツ製と云われるタービン等の発電設備も開設当初からのものがいまだに稼動していると知らされ、三度目のびっくり。更に、構内には発電所建設中に殉職した日本人技師の三人三様の殉職碑が当時のまま保存されいる。>(メルマガ「台湾の声」2006年7月5日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
この記事へのコメント
関山越嶺古道の研究報告の中に「1914年(大正3)の銃強制没収政策に抗ししてブヌン族の出草頻々として老濃溪左岸の居民は皆右岸に退去し、六亀土〔土龍〕発電所も全面停頓」とあります。地図を見ても六亀には他に発電所はなさそうですし、この土〔土龍〕発電所というのは竹子門発電所のことで良いのでしょうか?
Posted by メイウェンティ at 2008年09月27日 00:18
日本にもこの発電所と同じような時期の1911年に建設され現役で発電している施設があって、来月本館、取水口、沈砂池が国指定重要文化財に指定されるそうです。それは茨城の石岡第一発電所で、発電の機械も同じドイツ製です。
http://www.net1.jway.ne.jp/yama.seiji2/isioka/isiokah.html
Posted by メイウェンティ at 2008年11月28日 21:15
メイウェンティさん;

いやはやこの石岡の発電所には驚きました。建物の細部は異なりますが、発電所施設の構造は全く竹子門発電所と全く同じですね。逆に竹子門発電所の方を彼らに紹介すれば、彼らも驚くと思います。ありがとうございました。(了)
Posted by 玉山 at 2008年12月01日 22:14
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