【写真説明】日本時代に開鑿されたダム工事用道路であるサカタン歩道の三枚。左写真は中横脇に設けられた歩道入口。トンネル上部、歩道入口架上方の三漢字が「サカタン」の漢音訳。中央写真は実際の歩道の様子。岩盤が豪快に削り出されている。右写真は歩道終点近くの日本時代建設のダム(台湾中国語は「攔水壩・らんすいは」)、現役である。
<中部横貫公路と合歓山越嶺古道>−5
3) 現在のタロコ渓谷観光の最大の見所が集中した部分で、大魯閣国家公園ビジターセンターがある峡谷入口から天祥までの区間には、同時に、一般ハイカー向けに整備・開放された合歓山越嶺古道の核心部が存在するが、自動車道たる中横建設のベースになったのは、旧警備道ベースの合歓越道路ではなく、1939年(昭和14年)、タツキリ渓で砂金が発見されてから開鑿が開始された採金・発電用自動車道(註5)である。警備道ベースの合歓越道路は渓谷底よりはるか上方に開鑿されており、自動車を通すためには不向きだったからだ。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
(註5)「採金・発電用自動車道路」:自動車用道路はまず峡谷入口から現在の長春祠辺りまでが開鑿された。その後、ダム建設(現在の渓畔ダム)の為の自動車道が渓畔まで開通、その後を採金道路としてタビト(現在の天祥)まで開通させる計画であったが、大東亜戦争の影響でその手前の合流までしか開鑿出来なかった。これらの道路は中横建設の下敷きになってしまったが、当時のダム施設工事用道路がサカタン歩道として整備、観光客に開放されている。タロコ峡谷の入口にあるビジターセンターからそのまま長春祠へ至るバイパスを進むと、タツキリ渓とサカタン渓の合流地点にサカタン橋が掛かっており、その橋の袂が入口、全長4キロで全線が平坦なので、往復三時間程度、誰でも気軽に歩け、豪快は渓谷美を堪能出来る。
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