【写真説明】「台湾のセブン・イレブンは増殖・進化する」と言いたくなる程に、数が多く、又、特色を競い合う。店舗面積は広くなり、店舗の意匠に拘る。左写真は中横沿い清境農場付近にある台湾最高所のセブンイレブン、標高2,050メートル、日本時代には見晴と呼ばれていた地域だ。中央写真は、武嶺から見下ろした昆陽冬季派出所、日本時代の合歓山駐在所を襲ったもの。中横を霧社から登ってくると初めてタロコ国家公園の境界碑に出会う場所で、まず合歓山東峰の雄姿が視界を遮る。同写真左上に写る尖峰は能高山(3,262メートル、台湾百岳61号)。右写真は関ヶ原ガソリンスタンド、台湾最高所のガソリンスタンド、標高2,374メートル。
<中部横貫公路と合歓山越嶺古道>−3
合歓山越嶺古道は、西側は霧社を発し、佐久間峠を最高点にして、東側起点であるタツキリ(立霧)渓が刻んだ壮大無比の天嶮、タロコ渓谷入口を結ぶ約120キロの区間で、現代の自動車道である中横霧社支線(48キロ)プラス中横本線東段(70キロ)は大凡嘗ての古道に沿っていると言っても差し支えないが、もう少し細かく見ると、以下の三区間に分けられる:
1) 霧社支線から中横本線畢緑神木サービスエリア付近までは、当時の合歓山越道路をほぼ踏襲した区間だ。この区間に日本時代に設置された駐在所や宿泊地の跡地(註3)は現在の自動車道脇でその殆どを確認出来る。(2011年4月29日メルマガ「台湾の声」掲載分を一部改編。続く。。。)
(註3)「合歓山越嶺古道-霧社〜畢緑間:()内は現在のランドマーク」:霧社(同)→見晴(清境農場)→立鷹(台湾大学山地実験農場入口南方)→追分(翠峰サービスエリア)→合歓山(昆陽冬期派出所)→石門(合歓山荘)→合歓(大禹嶺)→関ヶ原(雲海山荘)→畢緑(畢緑神木サービスエリア西方)
中横本線の最高点、大禹嶺は休日は多くの車で混む。合歓山、梨山、タロコの三方面を目指す観光客が往き交うからだ。売店・食堂がある側の中横を隔てて向かい側の建物横に階段がついており、ここを上がると涼亭があり、誠に不格好にプラスチックの板で保護された中横開路記念碑がある。この記念碑の前後、延長の合計が約5キロの古道が残存しており、中横と古道との関係がよく判る一段。一般には知られていないが、台湾二葉松の中の静かな回廊の間の散策が楽しめる。下左写真は、中横と交差しているその大禹嶺付近に残る古道入口。但し、一般の人にはここが何の入口か皆目見当は付かないはずだ。下中央写真はその入口から暫く辿った古道の様子。下右写真は古道沿いの台湾二葉松の幹に残る日本時代の碍子。
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