台湾の古道の歴史は、例えば世界遺産に登録された日本の熊野古道の歴史の古さには比すべくもない。台湾の古道の殆どはその最終形態が日本時代の原住民族に対する警備道、所謂「理蕃道」であった事実は特に現代の日本人には知られていない。先住民たる原住民族の生活道・婚姻道と後代の清朝に拠る開山撫蕃道が、日本時代になり理蕃道へと改編・整備されていったものが台湾古道の基本的な成り立ちである。
戦後これら理蕃道の一部は中央山脈を横断する自動車道となり、或いは林道、産業道路として再利用される一方、その他の多くが草木の生い茂るにまかせ朽ち果ててしまった。近年台湾の民主化の流れの中で台湾独自の歴史を見出そうとする活動が盛んである。そのような活動の中から古道も甦りつつある。内政部林務局が中心になり台湾全土をカバーする国家歩道システムが整備中である。国家歩道システムの中心が嘗ての理蕃道、台湾にとっての古道である。
日本時代の総督府の原住民族に対する管理の苛烈さは、今でも中央山脈奥深くに残る理蕃道とその沿線の駐在所遺構等を透して想像が可能である。但し、本ブログは日本の台湾殖民時代を断罪することが目的ではない。現在の台湾古道の現状と些かの歴史的背景を紹介することに因り、読者の一人でも多くの方が実際台湾古道を歩いていただきたいというのが私の願いである。「不思議な国」台湾の異なる側面が見えてくるはずである。
本ブログで紹介する古道は私が実際踏査したものに限定する。又、適宜周辺情報も付記するようにした。尚、古道に関する記事は、既にメルマガ「台湾の声」に寄稿したものを改編したものも含まれるのは予めご了承願いたい。
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私は桃園住みです。ある日山登り連中に従い弁当をこしらえてついて行きました、桃園からバスで竜潭、関西、尖石を経て李棟山のふもとまで行き、あそこからおよそ1時間ほどの佐久間総督古道でした。機会あれば案内しましょう。
お久し振りです。コメントありがとうございました。その後、私自身李棟山に行きました。その時の記事は私のブログ「霞喀羅古道−9:李棟山」を見て下さい。再た、コメントお願い致します。(終)