2011年06月25日

パイワン族秘道−43:クスクス社−3

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【写真説明】左写真はクスクス旧社への入口。現在の高士村の一番上を走る自動車道脇にある。中央写真はその入口を少しだけ入ると広場になっており、そこに祖霊廟が設けられていた。同写真後方に写っている山頂が旧社方面である。同写真左側のコンクリートの道を少しだけ入ると古道入口を示す「勇士門」がある。右写真は今回我々を案内してくれた二人の小学生パイワン族勇士、そのゲートの前で撮影。

古道を辿る支度をしていると真新しい白塗りの自転車に二人乗りした小学生が通りかかったので、旧社への案内を頼んだ。アルバイトである。「自動車でも行けるのに。」と話してくれたのだが、その時点では意味不明、旧社跡に辿り着いた後、あっ!と驚くことになる。

上掲写真の小学六年生二人(右・左の順番)に敬意を表し、ここに中文名とパイワン語名を表記しておく:

(中)呉智淵 (パ)Ku lu
(中)李一山 (パ)Ka lu lu

私の耳は悪いので正確ではないかもしれない。各々「グ リュウ」、「ガ リュウ リュウ」と聞こえた。左側に立つガ君は駈けっこも速いし、野球も上手だそうな。グ君の方が先頭に立ち、ガ君の方が我々の最後尾に廻り案内してくれた。ところで、彼らは自転車を上掲中央写真の祖霊廟のある広場に鍵もせずに無造作に置きっ放しで我々の案内の任に着いたので、私は「真新しい」自転車とわざわざ書いたのだ。

さて、上掲左写真に写る「高士歴史穀道(Gaoshih Historic Tribe Trail)」とまだ新しい案内板には以下の中文解説(筆者拙訳)がある:

「クスクス部落はパイワン族パリリャリリャオ族群(paljilauljilau)の古部落であり、遺跡の考証に依ると優に六百年の歴史を有する。クスクス部落は(gade:現在の高士村の上方、八八水災後の移転予定地)等の高地にあり、他方、水田は下方の高士渓沿いの平坦地にあった。この間を往復する伝統的な道は(sadjungdjung)と呼ばれていた。その意味は鼻が膝に届きそうになるくらいにこの道の勾配が激しかったことに依る。毎年、水稲収穫後は稲を担ぎ苦労して部落に運び込んだので、この古道をクスクス穀(古)道(si i padai padai djalan)と称することにした。

1945年に強烈な台風が来襲、部落全戸が吹き飛ばされたので、現在の高士村の地に移遷、その後五十年以上もこの穀道は放置されることになった。2006年に到り、牡丹郷役場が「高士旧部落及び歴史歩道修復計画」を立案、高士社区発展協会の協力で実施に移された。単に長年埋もれたままになっていたクスクス部落の記憶を蘇らせただけではなく、この歴史的に意義のある文化遺産の保存を推進することになった。

クスクス歴史穀道は、今現在既に高士村建設並びに発展を推進する為の活動の場となっており、奥深い歴史的価値と豊富な自然生態資源を擁し、部落を発展させる為の観光資源環境を供している。この歴史歩道を歩きながら、大自然の中で部落の祖霊と対話すると、「団結、分かち合い、栄誉、熱情」というクスクス部落の伝統精神が下り来たり蘇る。」(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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