2011年06月18日

パイワン族秘道−42:クスクス社−2

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【写真説明】現在のクスクス社入口(左)と国民小学校門脇(右)の壁画。中央は、同校校舎正面。

クスクス(kuskus)社は戦後は高士佛と表記され、現在は短縮して高士と表記されている。Kuskusの表記は正式には屏東県牡丹郷高士村内の至る所で見られる。台湾のサイトで探しているのだが、このパイワン語の意味に行き当たらない。いずれにしても、私が以前から探訪したいと考えていたのは、この旧社名の音(おん)に惹かれたからだ。

前回の記事で紹介したが、この部落は七回の移遷歴があり、現在の高士村の位置は日本時代に移遷してきたと村の入口に立つ案内板にある。が、これが必ずしも正確な記述ではないことを理解出来たのは、「台湾社区新聞網小地方News」サイト内で短い解説を見付け、且つ実際日本時代の旧社跡に辿り着いた後である。

その解説に曰く、「役場に保存されている資料に依ると、過去七回の移村記録になっているが、(実際は)牡丹社事件以降は、日本時代に三回、戦後一回、つまり現在の村は四回目に移村した地である。」

これでいくと、第一回目の記事で紹介した現在の村より遙か北側に位置するクスクス山頂上付近に旧社跡が存在するという私が何処かで聞き齧った内容はあながちガセネタというわけでもないかもしれない。少なくとも日本時代最後の移遷地と現在の村は同じ山腹上に位置しており、その標高差はざっと二百メートルといった所か?その旧社から現在の村は見降ろせる位置にあることが判った。

日本時代の神社跡がクスクス村にも残っているのを知ったのは、一回目の記事中で紹介した高士国民小学校のサイトを通じてである。外部からの訪問者に対しても旧社を巡るツアーを企画してくれそうだと踏んだので、サイト内で紹介のある連絡人たる黄春光主任にT博士にお願いし連絡を取って貰った。クスクス旧社に我々外部の者だけではとても辿り着けそうにもないと踏んでいたので、黄先生自身か学校関係者に旧社に案内して貰うのが最も確実且つ安全、加えて、クスクス社の御先祖様に対しても礼を失する必要が無い。この後者の事由にはこだわった。

試しに、現地の案内人無しで我々自身だけで神社跡を含む旧社に辿り着けるだろうか?その場合、パイワン族の霊に対し失礼はないだろうか?黄先生に訊いたら、問題無し、旧社への入口は非常にはっきりしているし、二時間ぐらいだろうとのこと。この二時間が片道なのか、往復なのかまでは確認を怠ったが、どんなに時間を掛けても四時間で往復出来る距離にあることだけが判っただけでも心強いというものだ。

事前に一つだけ判っていたのは、神社跡は現在の小学校の裏山に相当する位置にありそうだということで、これは実際間違っていなかった。

実際、旧社への入口ははっきりしていた。地図付きの案内板が立ち、駐車場兼の公園仕立てになっていたからだ。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こちらのサイトを参考に高士神社に2016初日の出&初詣に行ってきました。
タクシーをキープしてたので時間が無かったので神社以外は見てませんが、大変参考になりました。
ありがとうございました。

【台湾旅行】戦後70年目に復興した台湾の高士神社の初日の出&初詣を目指す
ttps://youtu.be/6vvLhNtOFFY
Posted by ecoecoazarashi at 2016年01月11日 13:21
弊ブログをご贔屓いただきありがとうございます。又、返事が遅くなり大変失礼致しました。

良い体験で新年を迎えられたことを嬉しく思います。今後とも宜しくお願い致します。(了)
Posted by 玉山 at 2016年01月24日 09:32
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