【写真説明】台湾最奥部の原住民部落に敬意を表し、もう二枚写真を掲載することにした。前回掲載写真では全然伝わってこないその奥深さが少しは出ているのではないかと思う。教会の方は既に廃棄されていた。
ここまで、6回に渡り、能高山越嶺古道の延長線として合作産業道路沿いのセデック族の村々を紹介してきたが、やはり文字だけでは読者の方々に非常な不便を強制している心苦しさに堪え切れず、もう一度グーグル・アースに依るダイヤグラムを試みた。濁水渓谷は、合歓山群峰と奇来主山連峰の境界を形成しており、これらの村々と中央山脈両稜線の標高差は約2,000メートル、つまり山中と言う'より谷底にあるわけで、その谷の深さを表現する為に3Dのダイヤグラムにしてしまうと、全村落を見通すのが難しくなることが判り、教科書的な完全2Dにせざるを得なかった。
最後に。。。何故、私が村とか部落に拘るのか?一つには、私の生まれ故郷も以前は山中に部落が散在していたが、それらのすべてが宅地造成の為に、文字通り山は削られ谷は埋められ、土砂の下敷きになり、これらの部落は完全に消失してしまった。それでも父は自身の部落を何とか残そうと、その後に出来上がった団地内の公民館と公園の一つに部落の名前を残すことに成功した。(終わり)
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