【写真説明】天池山荘はその改築が2005年には発表されたにも拘わらず、その後なかなか着手されなかったが、今回行ったら山荘の外壁は粗方剥がされ改築が開始された所に出食わした。改築が完成するまでの間は、山荘側がテントを貸し出すようになっているようだ。現在の山荘自体は1993年(民国82年)設立、今年改築を完了させられれば、目出度く中華民国百年事業の一つに列せられるかもしれない。
現在山荘が立つ場所とその前の広場は嘗て能高駐在所、並びに能高神社があった場所だが、具体的に何処に立っていたかは当時の写真とこの林務局作成のダイヤグラムを引き比べてみれば或いは特定出来るかもしれない。
「能高山越嶺古道−4」で紹介した山荘脇に残る日本時代の「銃火器貯蔵庫」は早い話が弾薬庫である。先のダイヤグラムで赤丸で表記した場所になるのだが、ダイヤグラム上では「台電弾薬庫」の表記になっている。今の電力会社に恐らく弾薬庫は不要?であろうが、今は台湾電力の財産になっている旧日本時代の弾薬庫という意味だと思う。ダイヤグラムは改築以降の位置図を示しているので、この弾薬庫はつまり残されるわけだ。それを(文化財)保護というのかどうか?前回の記事に掲載した写真に写る通り、何らかの倉庫として尚現役である。
さて、右写真は、その山荘名の由来の天池、今回は水を湛え、氷結していた。11月下旬。前回訪ねた際は、完全に干上がっていたのだが。目指す奇莱主山南峰は、同写真に写る気持ち良く起伏を繰り返す玉山箭竹の中央奥にある。
ところで、「箭竹」は音読みなら「せんちく」、訓読みなら「やたけ」、「矢竹」で置き換えられる。矢竹とは文字通り矢の竹の部分だが、もう一つの意味は竹とは言いながら笹の一種としての「矢竹」である。玉山箭竹も笹の一種である。竹と笹はどう違うかというと、一般の人が恐らくイメージするのは丈の違いである。笹は一般的に丈が低い。生態的には、竹は茎が当初鞘に包まれるが、やがて鞘は完全に脱落して茎が露出するのに対し、笹の鞘は枯れるまで残るという違いがある。玉山箭竹は日本の山間部でよく見掛ける熊笹などに比べると遙かに小振りである。それだけに群生した様は美しい。(続く)
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