2011年02月05日
北坑渓古道−6
「北坑渓古道−4」で丸田砲台から天狗部落と大安渓を展望した後、その天狗部落に降りてそのまま大安渓沿いに下り卓蘭に抜けた。このコースは嘗て地図を眺めていて「雪見」、「二本松」の地名を見付けてどうにかして辿り着きたいものだと冀い、台中県東勢方面から入り辿ろうとしたもので当時は河川敷で水害後の大護岸工事をやっており大安渓沿にどう遡上すればいいのか見当が付かなかった。その記憶があったので、本当に東勢方面に抜けられるのかどうか不安だったのだが、すんなり行った。
梅園村を皮切りに、大安渓下流沿いに点々とタイヤル族の部落が続く。初めてこれら麗しい日本の地名を地図上で発見した当時は、原住民の存在など想像すら出来なかった。今回掲載した写真はそれらの集落から三枚を選んだ。左から大安部落(日本時代:テモクボナイ社、現在:苗栗県泰安郷象鼻村)、象鼻部落(象鼻社、同象鼻村)、桃山部落(雪山坑社、台中県和平郷達観村)。更に、この記事を書きながら、市販地図帳、『臺灣地形圖新解』、それに自身で撮影した写真を見比べると、新たに色々なことが立ち現われてくるが、それは次回の記事に譲る。
左写真に写る高床式を模した建築物は部落内に幾つかあり、「高脚屋」というタイトルで外部からの訪問者の為に説明板があった。その説明の中に「葛戸」と単語が使ってあるのだが、これが何を意味するか要領を得ない。鼠返しの構造を持つ倉庫のことか?大安部落内ものは観光用の復元なのだが、実際の倉庫例をセデック族の集落で見たことがある。これは追って紹介する機会があると思う。
「象鼻」とは中央写真のままに可愛らしい。日本時代にそう呼ばれていた。付近の地形から名付けられたという説明を見付けた。(続く)
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