2010年11月06日
挑塩古道−3
【写真説明】挑塩古道の様子を示す二枚。古道は大興善寺へのアスファルト道と並行して走る。
台湾で挑塩古道が紹介される場合、必ず「虎頭[山/(土欠)]古道」と対で紹介される。これら二つの古道は現在別々に道路上に標示、保存されており、人口に膾炙した古道なのでサイト上に実に多くの紹介が出ている。但し、形成過程を説明する出所は同じだと予想されるのだが、各々の古道の説明がコピーの繰り返しで錯綜としており、それらの関係を明確に述べた説明をなかなか見付けることが出来ないのだが、要は挑塩古道は虎頭[山/(土欠)]古道の一部というのが大勢だ。
それらを総合してみると次のようになる:清朝道光年間(1821〜1850年)に現在の苗栗県の県境を越えて延びる官道が修復・整備された。その中で、現在の行政区画を借りると、台中県大甲から北上、苑裡、通霄を経て、人気観光スポット飛牛牧場(旧南和牧場)辺りから丘陵地帯に取り付き、虎頭[山/(土欠)](三等三角点:標高322メートル)を越えて、西湖渓に降り、銅鑼を経て苗栗市に至る官道が一番長かった。この官道を中心にした支線を通じて、通霄産の塩が苗栗県各地に送られた。当時は、通霄以南の塩の産地の北限は現在の彰化県鹿港だった。清朝同治4年(1865年)に、雨が降る度にぬかり歩行困難になるので、地元の有志が義捐金を出し合い、卵型の石を利用し1,237段に及ぶ階段を作り修復した。これが今に残る虎頭[山/(土欠)]古道(或いは挑塩古道)である。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...
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