2010年10月30日
挑塩古道−2
【写真説明】挑塩古道を示すモニュメントと古道指導標。前者は通霄鎮と銅鑼郷の境界にある九華山(標高375メートル、大興善寺というお寺あり)への自動車道昇り口にあり、後者は現在整備されている挑塩古道の一番高所に設けられた展望台脇に立つ。モニュメントの透かしは前後二つの塩を盛った籠を担ぐ人である。
「挑」は「いどむ」以外に「かかげる」という訓読みがある。文字通り「塩の道」、沿岸部で精製される塩を塩の生産出来ない山間部へ運搬する為の道路だ。海岸線を持つ国ならばどこでも自然発生的に形成される道だとは思うが、台湾の塩の道として古道扱いされているのは現在の所、苗栗県のものだけのようだ。
但し、現在の古道が形成された当時からそう呼ばれていたのかどうかは大いに疑問である。現在の台湾の古道ブームの影響かどうか判らないが、「挑○古道」というのは各地でよく目にするようになった。同じ苗栗県三義では「挑炭古道」というのがあるし、その他、「挑柴古道」、「挑魚古道」と称されているのを筆者自身歩いたことがある。要は嘗てはこれらの物資を中心とした交易道であり、開発の波に洗われず運良く生き残った歩道のことだ。>(メルマガ「台湾の声」2009年1月12日掲載分『苗栗県の古道』の一部を改編)次回へ続く...
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