2010年09月25日
『水の古道』曹公[土川]−4
【写真説明】曹公[土川]−1に掲載した写真の水路が省道21号線を横切る場所には「曹公[土川]橋」が掛かっている。その写真の撮影者右手に、無傷の「大寮[土川]竣功記念碑」が佇む。中央写真は2009年に撮影したもの。右写真は同記念碑を裏側から写したもので、同写真右上の緑色の道路標識を入れて同碑が自動車道に面していることを伝えた。2006年撮影。
肝心の曹公[土川]が第1回目の記事以来なかなか出て来ない。何処にでもある単なる人工の水路というのは現在目に見える現象としては事実であるが、今に至るまでの歴史とその跡を訪ねるのは実は容易ではない。私自身もそこまではやっていない。
今回の記事に掲載した写真は、曹公[土川]がどのような形で実在しているかを一番手っ取り早く証明する為のものだ。竣功記念碑を最初に見たのは偶然で、その時は、曹公[土川]の知識は全く無く、ただ、日本時代の記念碑が見事に無傷で残っていることに驚いた。水利施設に関する日本時代の記念碑等は丁寧に探せば台湾各地に残っている可能性があるが、無傷で残っているかどうか疑問なのは、以前紹介した美濃水橋の「水橋改建記念碑」の改竄例があるからだ。
「大寮[土川]竣功記念碑」は幹線自動車道脇に特別な保護施設無しで佇んでいる。場所は曹公[土川]がこの自動車道を横断する袂で、そこはどうも私有地のようで、最近出掛けたら金網が張ってあった。これは碑を保存するためではなく、その私有地の境界を示し、私有地に植えられた若いマンゴーを保護する為のものである。碑基部下のコンクリートの土台を見る限り、もともと今の地にあったかどうかは疑問である。
掲載写真からでも判読出来ないことはないが、これまで七十余年無傷で残ってきた同碑に敬意を表し、碑に刻まれた全文をここに掲載する:
[表]「曹公水利組合
大寮[土川]竣功記念碑
高雄州知事野口敏治書」
[裏]「昭和七年一月十三日着手
昭和八年十月三十一日竣功
工事費金五十二万千二百五十圓也
灌漑總面積一千八百五十餘甲歩」
[基部]「主要工事請負人住吉組建之」。(続く)
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