2010年09月18日
『水の古道』曹公[土川]−3
【写真説明】昨年2009年8月に台湾を襲ったモーラコット台風(「八八水災」)のことについては以前の記事でも何回か言及した。高屏渓沿線も大被害を受け、旧鉄橋が高雄県側砂州を跨ぐ部分に整備された「旧鉄橋湿地教育園区」は見事に洗い流された。左二枚の写真は同年9月に撮影したものである。水害での犠牲者の慰霊と思しき風景、旧鉄橋橋脚のみは相変わらずびくともしない。中央写真奥に写るのは省道1号線高屏大橋である。
以下の記事は前回掲載分に含める予定だったが、前回分が余りにも冗長になるので、今回掲載分に廻した。
何に託けようが、目出度いことは目出度いことで、私ですら何でも肖りたい。ということで、余りに熱が冷めないうちにそうしたいと考えていたわけだ。実際その当日は台湾に居なかったので、どのような状態であったのかは想像が付かない。いずれにしても、その当日からそう遠からぬうちに偶然にも曹公[土川]−九曲堂のことを書いていたことは、近近何かいいことが私の身の上に起こるかもしれない ― 中華民国九十九年九月九日、9999のことである。
但し、前回記事の台湾の指定古蹟にも関連することだが、今の台湾にとり民国年号が何だ?ということにもなるのである。私のテーマはあくまで九曲堂であり、旧鉄橋であり、曹公[土川]である。
9月1日付けネット版中国時報【張立勳/高県報導】「9999郵資票鳳山郵局限量発行1000本」の記事を見付けた。新聞紙各社、前後して同ニュースを流している。目出度い数字9に関して、九[人分](台北県)、九如(屏東県)、九曲堂(高雄県)の各郵便局が記念切手を発行するというものだ。それで、同記事から写真を失敬したきたものが上掲右写真である。絵になっているのは、旧鉄橋、その上の囲みの写真は、清代鳳山県八景の一つ「淡渓秋月」を意識したものと思われる。私は切手収集の趣味はとうに子供時分に放棄したので、今更購入する気はないが、たまたまネット・ニュースにそのブックレットの中身が見て取れるように撮影されていたので、私のブログ記事のテーマを補完する材料として使えると思い、ラッキー!という気分になった。
こんな絵を見せられると、旧鉄橋の鋼鉄製の橋梁(戦後掛け替え)が完全な形で残っているように想像してしまうが、それは砂洲部分に残る部分のみであり、実際の高屏渓の急流が洗う部分は断裂、倒壊している。いずれにしても、鉄橋を支える赤煉瓦と大理石を組み合わせた橋脚は美しい。
さて、曹公[土川]は、台北市地区の瑠公[土川]、彰化県二水郷の八堡[土川]と並び、台湾三大古圳の一つで清朝道光年間(1930年代後半)から開削が始まり、日本時代には多くの支線が設けられ高屏渓の水を高雄地区一帯に配水する役目を果たしてきた。取水口が旧鉄橋湿園区付近に設けられた為、周辺には新旧様々な形態の利水設備を観察出来るのだが、普通の人には平凡な水路であり水門にしか見えないので、自動車幹線道路脇の一部の水利施設付近は公園仕立てになっており、外来者の便宜に供されている。
因みに、「旧鉄橋湿地教育園区」というのが正式名称であろうが、高屏渓自然生態園区とか色々な呼び方がされているようだ。このサイトは秀逸である。(続く)
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