【写真説明】左写真は、シナケ社跡で見たものより、更に精巧な切り欠き。中央写真はシナケ社にもあったが、切り出された石板表面の不思議な波模様、これが自然のものかどうか?よく判らない。右写真は別タイプの模様。これらが自然のものかどうかは判らないが、他旧社跡で目撃した覚えがない、というのがミソである。
「カスバカン」とは、入口公園内に立つ案内板に依ると、「砂頁岩」を節理に沿って切り出した石板のことだそうだ。節理とは学術用語だが、簡単に言えば、方向性を持った岩の割れ目のことだと思う。砂頁岩はどうも学術用語として存在するようでもあるが、「砂岩頁岩互層」というのが正しいのかもしれない。薄く割れるのは頁岩(けつがん)の方で、本のページ(日本語では「頁」を充てる)に見立てたものだというのを、この記事を書きながら知った。カスバカン社跡では、素人目からすると、これまで見てきた頁岩がどうも圧倒的に少ないのである。今回掲載した写真に写る岩石はどれも砂岩ではないかと思うのである。
尚、同案内板には更に、石を切りだす前は、巫女を立てて、良質な石板が安全に切り出せるように祈ったそうだが、これはよく判る話である。
泥岩、頁岩、粘板岩は地質専門家は見事に使い分けているかもしれないが、一般の人にとってはその区別は判りにくい。私は以前の記事の中で、これまで見てきたパイワン族の住居群の中で、屋根瓦、屋根を支える柱、廊下に使われる石板をスレートと表現してきたが、これは正しい用法のようだ。スレートとはもともとは粘板岩の英訳に充てられており、泥岩や頁岩が変成して板状に割れやすくなった自然石で、何処でも屋根瓦等に利用されてきたものだが、現在では人口石板もスレートと表現している。と、私の蘊蓄はここまでである。ま、これまで私が見てきたものは、頁岩と言おうが粘板岩と言おうが、外れているわけではないということだと思う。
要は私が言いたかったのは、カスバカン社では、どうもこれまで私がパイワン族旧社跡で見てきたようなスレートが見当たらない、或いは少ない(?)という印象を持ったということだ。これが、果たして森丑之助の云う南北の相違なのかどうかは、未だ判らない。最も簡便に調査する方法は、石切り場を訪ねることかもしれない。リキリキ旧社跡に立つ案内板の地図には「採石場遺址」の記載があるが辿り着けていない。(終わり)
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