2010年07月03日
『水の古道』白冷[土川]−3
【写真説明】左写真は天輪発電所全景。戦後建設されたもの。中央写真は同発電所付近の地図。地図中の「馬鞍堰」が白冷[土川]の現在の主たる取水口。日本時代の取水口は、発電所の大甲渓を隔てて向かい側に位置する。「出水口」と記された付近に重なるのだが、白冷[土川]の取水口のことを指しているのかどうか?右写真は白鹿吊橋、この橋で大甲渓を渡り、オリジナルの取水口に至る。
最初に探した白冷[土川]は、遠足出版社の「台湾的古[土川]道」に掲載されている二枚の写真、現在の天輪発電所と日本時代の取水口、である。発電所はすぐに判ったが、取水口はその付近で訊いてみても全然在処の見当が付かない。発電所付近の居住地をさんざん歩き廻ったが徒労に終わった。
どういう手掛かりであったか、発電所から少し離れた省道21号線脇に一本の吊橋が掛かっており、そこを渡った。白鹿吊橋である。下を流れるのは大甲渓。これも記憶が曖昧だが、そこを渡る前、或いは渡り切った所で、中年男女の二人連れに遭い、その二人も取水口へ行くらしいということが判ったのだが、ずんずん先へ行かれてしまった。
渡り切った場所にも集落がある。橋から続く道を右側に折れたのだが、件の二人連れが見当たらない。それで橋の袂まで戻った。するとその二人連れが戻って来るのに出会った。左側へ折り返そうとしたところで、停年退職したばかりの年頃に見える男性に「台湾的古[土川]道」の写真を見せながら道を訊いた。非常に幸運なことに、その御仁は嘗て台湾電力に奉職していたので、実によくその取水口を知っていた。そっくり残っていると教えてくれた。
実際現場に着くと、本当にそっくり残っていた。日本時代に撮影された写真は、大甲渓から望んだ取水口、取水口から宿舎と思しき家屋へ上がる階段、そして宿舎が写っているのだが、消えているのは宿舎だけだった。(続く)
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