2010年06月26日
『水の古道』白冷[土川]−2
【写真説明】これから数回の記事は写真を並べることが主になり記事自体は少ない。実際白冷[土川]の現場を訪ねたのはそれ程昔ではないのだが、何せ一度切りである。前回の記事で白冷[土川]は全長17キロだと書いたが、大体何処をどう走っているか、その後地図を睨んで大凡のコースがおぼろげながら想像出来るだけだ。訪ねた当時は、ただただ「白冷[土川]は何処?」という尋ね方しかしていないわけで、その都度教えられる場所が異なるので当時は混乱していたのだが、考えてみれば当たり前だ。17キロというのは途方もなく長いのだ。
今回並べた三枚は左から順番に、私が探し当てたものが明確に「白冷[土川]」であることが判る一枚、私の手元にある地図にも表記のある福龍水橋、加えて、白冷[土川]が地表を流れる部分、正確には沈砂池、を一枚を掲載した。三枚目右写真の水路横の山側には日本時代には鉄道軌道(軽便鉄道?)があったと説明され、そこまで登ってみた記憶がある。
因みに、前回記事の写真説明で、「渡槽」とは「水橋」のことであろうと書いたが、実際その通りである。「渡槽」が正式呼称で「水橋」は俗称であるという説明を台湾のサイトで見付けた。それでもその渡槽には堂々と水橋と書かれている。もう一つ付け加えるなら、渡槽も水橋も日本語ではなさそうだ。(続く)
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