2010年06月19日

『水の古道』白冷[土川]−1

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【写真説明】恐らく21号線を跨ぐ白冷[土川]、「渡槽」と書かれているが「水橋」と言い換えてもいいのかもしれない。但し、水橋と書かれたものも別に存在する。「恐らく」と書いたのは8号線だったかもしれないからだ。自動車道が下りに掛かる場所にあったので前者だとは思う。同写真に写る自動車の奥にコンクリートの構造物が見えるが、日本時代のもの。そのまま道路端に案内板とともに「展示」してある台中県の歴史遺産である。これは嘘ではない。右写真はその拡大写真。まずは、白冷[土川]のさわりの二枚。

白冷[土川]を何故訪ねてみようと思い立ったのかもう定かではない。実際それを見た後、こんな凄いものが残っていたのかと実に驚いた。一部は台湾建築百景に選定されている。そんなことすら知らなかった。

南投県国姓郷に入り(この理由は覚えている)、そこから省道21号線を北上、省道8号線西段、即ち中横に出た。21号線を辿ったのは初めてだった。8号線をそのまま東上すれば谷関温泉に至りその先は未だに封鎖状態である。未だにとは921地震以来であるので、もう10年以上になるはずだ。

21号線と8号線の合流地点から8号線を僅かに東上するとそこには白冷という地名である。この町の背に東卯山という低い山があり、その登山紀録が「台湾山岳」に載り、そこにいまだに日本時代の駐在所が残っているという記事を覚えていたのかもしれない。結局、その駐在所のことは実際現地に行ったら忘れてしまった。白冷[土川]は何処にあるのか?同じ道を行ったり来たり、夕方近くになってやっと台湾建築百景に指定された構造物まで辿りつ着けた。

さて、第一回目は、白冷[土川]とは何か?を紹介する。

白冷[土川]は、磯田謙雄の設計により1932年(昭和7年)に完工した全長約17キロの灌漑を目的とした水路で、現在の台中県和平郷と新社郷に跨る。水源は大甲渓、中央山脈最北の三千メートル峰である南湖大山山塊を源頭とし、台中県北部から台湾海峡に注ぐ。現在の新社郷大南地区にサトウキビの種苗センターを開設するに当たり敷設されたもので、当時「台中州大南庄蔗苗養成所灌漑工事」と呼ばれた。

取水口と出水口は共に標高500メートル強、その間の高低差は僅か二十メートル、その間、22本のトンネル、14架の水橋、3本のサイフォン水管を伝い、水は道路を横切り、河を渡り、山を越える。取水口は日本時代に建設されたものが全く無傷のまま今でも使われているが、その他の施設は、交換されたものが多い。

最大のアトラクションは抽藤坑渓2号管と称される巨大なサイフォンである。文字通り跋山徒渉する水管は圧巻で、台湾建築百景の名に恥じない。サイフォンが抽藤坑渓を渡る部分は、白冷[土川]歴史公園として整備され宿泊施設もある。(続く)
ラベル:台湾 台湾古道
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 『水の古道』白冷[土川] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
新社のサイフォンについては、ぼくも興味があり
現地の組合の人から紹介DVD(中国語)をもらい、今年はこのサイフォンのことを冊子にまとめたいと思っていました。西さんは高雄に住んでいるとの事、来週土曜日(12日)高雄に行く予定しているので一度お会いしたいと思います。ご都合はどうでしょうか?
Posted by kiso at 2011年02月05日 20:56
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