2010年06月12日
福巴越嶺古道−6
【写真説明】左写真はタイヤル族の村、ラハウ(信賢)の全景。左二枚目の写真はその集落内にある用途不明の明らかに嘗ての日本家屋をベースにした「秋月堂」。三枚目は日本時代は「黒橋」と呼ばれていた今はモダンな吊橋廊下に嵌め込まれたレリーフ。右写真はその黒橋である。
リモガン社に下山して来て、ウライ寄りの次のタイヤル族の村、ラハウ(信賢)の村を散策していたら、「内洞国家森林遊楽区」の小さな表示板が目に付いた。この村の袂を流れウライまで到る南勢渓を隔てた向かい側にあるのだが、残念ながら台風の余波で入園禁止になっていた。
料金所で貰った同区のパンフレットを見ていたら、日本時代に纏わる遺構が二つ紹介されていた。一つは同区内にあり、南勢渓に掛かる昭和17年(1942年)の竣工のラハウ・ダム、もう一つは同区の外にあるが、同じ南勢渓に掛かる「黒橋」、今はすっかりモダンな吊橋に替わっているが、日本時代の鉄線橋の頃からそう呼ばれていたのだそうだ。
ウライ社からリモンガン社に到る現在の郷道107号線は南勢渓の左岸を走っているが、以前は、この黒橋で右岸に渡り、内洞国家森林遊楽区の入口手前で再び左岸に渡ってラハウの村に入る、この間、約1.5キロ、今はこの旧自動車道が「信賢歩道」として整備されている。歩道の山側は瀟洒な自然の滝が何本も掛かりハイカーの目を楽しませてくれる。
歩道化されてそれ程時間はたっておらずアスファルト敷きですから変な感じがするが、今後五十年も経てば、この旧自動車道も立派な古道に変遷していくはずだから、福巴古道との対比でおもしろいと思った。
ウライ温泉まで訪れた折は、折角だからその喧騒を離れラハウ、リモガンの村々まで足を延ばし、福巴古道に少しでも足を踏み入れてみられることをお薦めする。普通の運動靴で十分歩ける。>(メルマガ「台湾の声」2009年10月7日掲載分の一部を改編)終り...
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