2010年06月05日
福巴越嶺古道−5
【写真説明】左写真は、台北県烏来郷信賢(旧ラハウ社)にある検問所前に立つ看板。台風で福山に至る車道が崩れていたがそれが復旧した為、その警告を解除する為に赤の警告板に黒のビニール袋を被せたもの。二枚目写真は福山側の古道入口表示。自動車道脇にある為、見落とすことはない。ここから入るとすぐに吊橋を渡り、福巴越嶺古道の通称福山段が始まる。台風で増水すると到る所で、沢が古道を横切る。右写真は私の指に食らい付き肥え太った山蛭。
私が入山しようとした日はチャンミー台風(2008年15号)が台湾北部を横切った翌日で、「今日やっと福山までの自動車道が開通したばかりだ。山に入る?とんでもない、頼むから我々に迷惑を掛けないでくれ。」と懇願されたので、その日は引き下がり、検問所のすぐそばにある営業停止状態と見受けられる農場に入り込み露営、翌朝検問所が開く6時に再度訪ねたら、昨日とは別の警官が詰めており、何も言わずに入山証を出してくれたことがあった。
確かに台風一過の後で各所で倒木には難儀したが、台風の後でも即座に歩けるぐらいに道は広くしっかりしているのがこの古道の特徴で、前述したように20キロ弱の距離の高低差が1,200メートルしかないので、福山側からは登り一方になるにも拘らず全程勾配を感じずに済む。1キロ毎に林務局設置の里程標が立つ。登山口から1キロを過ぎた辺りから檜の植林が現れ、水量の多い季節であれば沢があちこちで古道を横切る。チヤコン、檜山駐在所跡とも敷地のみ。往時の面影を残すものはチヤコン駐在所跡で見付けた大日本麦酒の空き瓶のみだった。
台風後で雨が残り山中湿っていた為、山蛭の多さには驚かされた。山蛭は動物が発する呼気、二酸化炭素に反応するそうなので、先頭を歩く人よりその後を歩く人の方に食いついていくことは覚えておいてよいと思う。どんなに血を吸って膨れてもせいぜい赤ちゃんの小指ぐらいなので、生命への危険は全く無い。>(メルマガ「台湾の声」2009年10月7日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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