2010年05月22日
福巴越嶺古道−3
【写真説明】ララ山口から古道を福山側へ辿るとやがてララ山-塔曼山間の鞍部に出会う。そこには小振りの気象観測用施設があるが、嘗てのタマン駐在所跡地だと思う。左二枚の写真はその間の古道の様子。二枚目に小さく写るピンクの小片は台湾山桜。三枚目の写真は、古道沿線の大木に今でも残る碍子(がいし)、日本時代に原住民管制の為に電線を張り巡らした名残りで台湾各地の山中に残る。当時は低い位置にあったはずだが、今では樹木の成長に伴い見上げなければ見付からない位置に移動してしまった。右写真は、前述の気象観測用施設。休憩所として絶好の場所。
ララ山(標高2,031メートル)は1975年には達観山という抹香臭い名前に改名され、私が初めて同地を訪れた七、八年前も達観山自然保護区と呼ばれていたが、今は台湾人に通りの良いララ山に戻っている。そして台湾人はララ山と聞けば即座に水蜜桃を思い浮かべる。実際桃の花の咲く頃にこの地を訪れると山に掛かる霧とピンクの桃の花の取り合わせは文字通り桃源郷の趣がある。「ララ」とはタイヤル語で美しいを意味する言葉だそうだ。
全長17キロの現在の古道は、その中間点である檜山駐在所跡で便宜的に福山段と巴稜段とに分けられている。
一般の人に薦められるのは、省道9号線を経て巴稜側から入る方法だ。9号線から別れ上巴稜に向けて急坂を登り始めるとすぐに料金所があり、ララ山生態教育館、通称ララ山神木群を見る為にはそこで料金を払う。上巴稜まで上りきった場所にタイヤル族の住居が集中しており、巴稜国民小学校がある辺りが一番の高台で嘗て日本人が砲台を置いていた場所である。
そのまま桃の畑の中をずんずん登ると、ビヤサン駐在所跡地に設けられた自然保護区管理処を経て生態教育館に着く。そこに車を停め歩き始める。ベニヒ原生林をひと回りした後、古道専用のゲートを経て古道に入る。
塔曼山(標高2,130メートル)とララ山の鞍部が古道と交わる部分は気象観測用施設がある広場になっており、タマン駐在所跡地ではないかと考えられる。そこで折り返してくるのがいいかと思う。
この部分は往復7キロぐらいで全く平坦、古道脇に往時の石積が残っていたり、檜の回廊状のような部分もあり、存分に古道歩きを楽しめる。
又、日本時代に原住民を隔離する為に張り巡らした電線の碍子(がいし)が、いまだに樹木にめり込んだまま残っている様子を観察できる。理蕃政策下の遺物であるこの種の碍子は台湾各地に残っているという報告、写真は見ていたが、私自身が実際目にしたのはこの古道沿線が初めてだった。>(メルマガ「台湾の声」2009年10月7日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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