2010年05月15日
福巴越嶺古道−2
【写真説明】左写真は上巴陵の三月下旬、水蜜桃の花咲く風景。同写真左奥の小山に向かってセリ上がっていく集落が上巴陵、この小山の頂上には嘗て付近のタイヤル族管制の為の砲台が置かれた。左から二枚目の写真は、ララ山自然保護区入口の公園管理処、日本時代のビヤサン駐在所跡地である。さて、右二枚の写真は、ララ山自然保護区内の台湾紅檜の大木をどう切り取ってこようかと悩んだ挙句に選んできたものだが、彼らに対して誠に申し訳ないと頭を垂れるしかないような代物だ。プロの写真家なら、樹齢数千年の大木を前にしてその大きさと古さを表現する手法を持ち合せているかもしれないが、バカチョン・デジカメしか持たない私では精々この程度だ。
このウライ−バロン間は理蕃道として大正11年(1922年)に整備し直された後は、駐在所が以下のような具合に配置されていった。( )内はタイヤル族集落の日本時代の呼称である。即ち:
−烏来(ウライ)−信賢(ラハウ)−屯鹿(トンロク)
−福山(リモガン)−茶墾(チヤコン)−檜山(同)
−拉拉山(ララ山)−塔曼(タマン、大満)
−比亜散(ビヤサン)−上巴陵(ララ渓)−巴陵(バロン)
現在の古道は、台北県烏来郷福山(リモガン社)と桃園県復興郷側の拉拉山自然保護区内生態教育館とを繋ぐ全長17キロの部分で、ララ山から福山に向かい緩やかに下っており、その高低差は約1,200メートル。片道だけであればどちらの入口から入っても一日で歩き通せる。歩行時間は、ララ山側からの下りが7時間、福山側からの上りが9時間程度だ。
但し、どちらから入っても、その片方の出口に車なりを手配しておかないと往復しなければならない羽目になるので、この古道を全部歩き通そうと考えたら最寄の山岳会、登山クラブが募るツアーに参加するのが便利な方法である。
ララ山一帯は台湾最大の台湾紅檜(通称「ベニヒ」)の一大原生林が残存しており、1986年に自然保護区に指定された。その規模は台湾の日本向けの案内では東南アジア最大とも表現されている。自然保護区に残る檜の大木には全く圧倒されてしまう。国民党の歴史観風に言えば、日本人に依る伐採を免れたということになるのだろうが、日本人はここに大木があることはとうに知っていたし、古道に沿った部分は各所で僅かな大木を残してよく植林されているので、では何故ララ山生態教育館付近だけ伐採をしなかったのか?それはよく判らない。>(メルマガ「台湾の声」2009年10月7日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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