2010年05月08日
福巴越嶺古道−1
【写真説明】左写真は台湾紅檜(ベニヒ)の一大原生林が残る拉拉山(ララ山)自然保護区入口ゲート。ゲートを通過する自動車道も福巴越嶺古道の一部である。左二枚の写真は古道沿線に林務局が500メートル置きに敷設した里程標。中央写真はララ山側古道入口の里程標、自然保護区内にあり、2004年3月撮影、敷設後間もなくまだ真新しい。右写真は、台北県烏来郷福山側入口の里程標で、2008年10月撮影。四年半で大分くたびれた。
福巴越嶺古道は、台湾北部では過去紹介した霞喀羅古道(石鹿古道)と共に、林務局が力を入れ整備し、ハイカーに人気のある古道である。古道の最終形態は、現在の台北県烏来郷烏来(日本時代:ウライ社)と桃園県復興郷巴稜(バロン社)との間を結んでいた拉拉山(ララ山)越えの原住民に対する警備道(「理蕃道」)であるが、実際は沿線のタイヤル族に依って狩猟道、婚姻道として数百年来歩かれて来た道だ。
このように烏来地区と外部地域を結んでいる古道は福巴古道以外に、哈盆古道、桶後古道と呼ばれるものがあり、いずれも最終形態は原住民に対する警備道だったものだが、これら三本の中では福巴古道が最も良く整備されている為、週末は多くのハイカーで賑っている。
現在台北地区と宜蘭県を雪山山脈越えで結んでいる自動車道は二本ある。一本は国道5号線(通称「北宜高速公路」、正式名称「蒋渭水高速公路」)で、もう一本は省道9号線(「北部横貫公路」、通称「北横」、註参照)だ。後者は桃園県大渓鎮大渓と宜蘭県宜蘭市街との間を結んでいる全長約130キロの自動車道である。この北横のベースになったのは、日本時代、西は大渓側の軽便鉄道終点角板山に始まり、タイヤル族の集落を結びながら雪山山脈を越えて蘭陽渓(日本時代は濁水)に降り、羅東市街から三星まで伸びていた軽便鉄道終点に至る警備道で、今は角板山古道とも呼ぶ人もある。大渓と、北横が蘭陽渓に降り切る地点である棲蘭間の凡そ中間地点にあるのが巴稜、旧バロン社で、ここから北のウライとの間を繋いでいた警備道が現在の福巴越嶺古道である。>(メルマガ「台湾の声」2009年10月7日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
(註)「省道」は本来は「国道」と称すべきものだが、行政院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称である。
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