【写真説明】森と鳥居の「生蕃行脚」はリキリキ社から始めたのだが、その理由が以下のように述べられている:
「私達は此度の旅行に於て、パイワン族蕃人の調査として先づ手始めにリキリキに赴くことにした。同社はパイワン族蕃人として堂々たる大蕃社であって、これから南にある萃芒蕃[スボン社、屏東県春日郷士文村]にしても、大亀文蕃[内文社を中心とした集落。屏東県獅子郷内文村]にしても下十八社蕃[現在の省道9号線以南の恒春半島に居住していたパイワン族。屏東県牡丹郷、車城郷、、満州郷、恒春鎮]にしても、此社以北の風と大に異った点があり、殊に住家の建築の如きこの以南のものとは全く異にして居る。同族蕃人としての標準的の土俗はこの社の南方と大差あるから、一般パイワン族的土俗が此蕃社で見るを便とする。」
典型的なパイワン族習俗を観察できるのがリキリキ社というわけである。
左写真は学校の構造遺構。戦後の国民小学校時代のものかもしれない。左から二枚目写真は頭目、或いはその一族の住居跡。ガジュマルの大木は圧巻である。左から三番目の写真は、まだ残っていた住居の梁(はり)。何故これだけが腐らずにいまだに残っているのかは判らない。森丑之助に依ると、パイワン族の住居に使われていた樹木は槻(けやき)とのことである。右写真は集落内にある貯水塔。駐在所跡にも同じ様式の貯水塔が残っている。(続く)
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