2010年02月20日
『水の古道』南投県地利村−3
【写真説明】左写真はトンネル入口側の構造。トンネルを出てきた水は一本の水路を伝いそのまま地利村へ入っていくが、この水路から直接取水している場所があった。それが中央写真。そこの構造物も日本時代のものだが構造そのものは写真では判りにくい。が、水の鮮烈なことが印象的。右写真は、最終的にはトンネルに出入りする水の源頭まで辿ってみたもの。
たかが上水道・灌漑水路という勿れ、水は生命の源である。金氏を含めこれまで多くの原住民の方が同じことを繰り返すのを聞いた。私が日本人であることを差し引いても、確かに彼ら自身が感心していることはよく判る―台湾人の作ったものはすぐ壊れるが(と無残に流され崩壊した谷間のコンクリートの水路施設を指さしながら)、日本人の作ったものは今でもこうして残っていると。
さて、地利村のトンネル水路の出入口は今でもコンクリート製の当時の精緻なデザインがそのままである。両側ともプレートが外されているのは残念なことだが。私は大きな土管がトンネルに通してあるのだろうと勝手に想像していたのだが、それは出入口付近だけで残りは岩盤を開鑿しそのまま、何の補強工事も施されていない。従って、トンネルの高さはまちまち、高い場所は大人の倍くらいある。まるで鍾乳洞を思わせるような内部である。金氏のこれ又自慢は、921地震(1999年)ですらビクともしなかったということである。地利村もこの地震で壊滅的な被害を被った集落の一つである。丁度10年目なのだ。
いやはや、それにしても鮮烈な水が流れ続けるというのは天の御加護としか言いようがない。(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック