2010年01月23日
関山越嶺古道−13
【写真説明】現在の台東県海端郷霧鹿、旧プルプル社内には「霧鹿砲台記念公園」が設えてある。左写真は、日本時代に砲台が築かれていた小山。その手前は上水道施設だが、日本時代は駐在所が立っていた場所。左から二番目の写真はその砲台跡から霧鹿国民小学校越しに望むプルプル社全景。同写真奥の山々は新武呂渓谷。三枚目の写真は、公園に置かれた砲門。右写真は同公園内で見付けた「昭和三年六月」の銘を持つ石碑、「南無阿弥陀仏」の「(阿)弥陀仏」の部分だが、「南無(阿)」の部分は切断されてその横に並べて立ててあった。用途、経緯は不明。
[プルプル砲台]
天龍温泉ホテルから少しばかり台東側よりの南横脇に霧鹿村への入口が付いている。「古砲台公園」の茶色の道路標示板があるのですぐに判る。村への入口からだと一番奥に霧鹿国民小学校(日本時代のプルプル蕃童教育所がその前身)が位置しており、その後方に同公園が設えられ、二門の大砲が展示されている。この公園のあった場所が日本時代に実際砲台が置かれた場所ではなく、その公園の後方に上水道施設があり、これがプルプル駐在所跡、更にその後方にちょっとした高台がありそこに涼亭(展望台)が設けられいるが、そこが嘗て砲台の置かれていた場所だ。天龍橋の真上に位置し、約200メートルの落差がある。公園内の二門の大砲は日露戦争当時ロシア軍から押収したものをこの地に運んだとの説明があるが、真偽の程は判らない。
台湾総督府が原住民管制の為に建設した砲台跡に、このように実門を置いて歴史遺産としているのは、私の知る限りこのプルプル砲台跡だけだと思う。>(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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