【写真説明】左写真は天龍温泉ホテル横に掛かる天龍吊橋、新武呂渓右岸側。ホテル前の広場・駐車場は日本時代には原住民に対する監視哨が置かれており、警備道も現在と同じ地点に吊橋が掛かり左岸に渡っていた。今に見る橋柱は戦後掛け替えたもの。この吊橋を対岸に向かって渡り出すと、左手に古道が延びているのが確認できる。それが左から二枚目の写真。但し、橋の袂、樹木で覆われた部分は大きく崩壊しているので、この古道を歩くのは難しい。対岸に渡り切ると日本時代の架橋の際にはめ込まれ今でも残っている銘板二枚。右写真はその内、工事人を列記した銘板の拡大。
[天龍温泉ホテルと古道=現台東県海端郷霧鹿]
南横東段が走る地域は玉山国家公園には含まれていないが、台東市街を通り太平洋に流れ込む卑南渓の上流域を形成する新武呂渓が創り出した渓谷美は全く見事で、個人的にはタロコ渓谷に匹敵すると考えている。特に、嘗てのプルプル社、現在の霧鹿村の足下を走る南横脇にある天龍温泉ホテルがある辺りから先の渓谷がその白眉だと思う。
天龍温泉ホテル脇にはこの新武呂渓を対岸に渡る吊橋が掛けられているが、日本時代も同じ場所に橋が掛けられており「天龍橋」と呼ばれていたので、このホテル名はその橋の名から取られたものだということが判る。渓底から相当な高度差があるので勇を鼓してこの橋を渡リ切ると、対岸の岩壁に当時の橋の銘板と日本人11名の工事人員の名簿板が嵌め込まれている。ホテルの駐車場は当時見張り所を置き、原住民を監視していた場所だった。 >(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...

