2009年12月12日
関山越嶺古道−7
【写真説明】左写真は古道最高点を上から望む。関山嶺山への登山道と旧警備道との出会い。但し、旧警備道も最近まで同百岳への登山道だった。同写真左下角から写真右上に伸びるのが旧警備道、写真右下角から写真中央までの部分が現在の登山道で、私の背中側に関山嶺山がある。中央並びに右写真は関山嶺山の稜線から古道を見下ろしたもの。右写真の片側に雲の張った稜線は塔関山に連なる。
[古道核心部-旧警備道最高点-2]
この登山道はまず登山口から前述の塔関山と関山嶺山の最低鞍部、つまり古道の最高地点を目指して前述したように凡そ二百メートル直登する。半時間程度で鞍部まで辿りついた後はそのまま北側に伸びる稜線を頂上まで辿る。但し、鞍部までの登山道は古道ではなく、その後稜線を頂上まで辿る登山道も古道ではない。つまり、嘗ての警備道、現在の古道は、関山嶺山登山道と出会う、或いは交差しているのだが、その交差地点から東側にもあるはずの古道は薮の中に消失しており私自身は探せなかったし、更にその先にあるはずの嘗ての警備道上の駐在所の中で最高所に築かれた、関山駐在所跡に辿り着くすべも見付かりそうになかった。
他方、古道西側は、鞍部まで辿り着いた後そのまま正面(登山道は右手側に変わる)を見ると山裾に沿って走っている小道が見えているが、これが古道で、関山嶺山頂上目指して稜線を少しばかり辿って後ろを振り返ってみれば更にはっきりと判る。今は登山道と古道の分岐点の古道側は人の背丈より少し低い笹に塞がれている為、普通の人はこの道を辿る勇気が出ないかもしれないが、すくなくとも最高点付近の古道の状態はそれ程悪くないので、分岐点から見えている古道の最初の曲がり角ぐらいまでの数十メートル足を延ばしてみてその後に続く古道がどういう状態になっているかを観察してみることをお薦めする。私の場合は数百メートル、大関山トンネル西側入口(出口)の上部まで辿ってみたが、竹薮に加え、倒木、道の崩壊部があり一般のハイカーには薦められそうにない。
実は古道最高点の西側部分が修復・保護されていないにも拘らず、今でも歩こうと思えば何とか歩けるような状態になっているのはわけがある。以前は、トンネル西側にも関山嶺山への登山口があり、西側の登山道はこの古道を利用していたからだ。林古松氏が古道の踏査研究を行っていた頃は、トンネルの東西両側からこの百岳の一座は登られていたからで、その後専ら東側登山道だけが利用されるようになり、西側登山道は荒廃してしまった。>(メルマガ「台湾の声」2009年5月9日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
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