2009年10月17日

パイワン族秘道−27:森丑之助「生蕃行脚」の世界-15

Kodou-436.JPG Kodou-437.JPG Kodou-435.JPG
【写真説明】二峰[土川]のモーラコット台風(2009年8号)の影響を紹介した後に、タナシウ社を紹介するのには理由がある。それは前回少しだけ紹介したと思う。旧タナシウ社に到るには棚集山山頂に到る何本かのルートの内、今現在最も歩かれていない一本を辿ることになる。タナシウ社跡までの道は明瞭で、途中何箇所か「石板屋」の表示があるが、これが現在の丹林村の旧社跡と認識している登山者は少ないのではないかと思う。左写真は、そんな石板屋への表示の一例。中央写真は旧社への上がり口。右写真は旧住居跡。手前の台は祭壇として使用しているのかもしれない。現在の移遷先とそう離れていない為、プラスチック製の椅子とかが持ち込まれており、快適に涼を取れるようになっている。

[タナシウ社] (屏東県来義郷丹林村)-1
タナシウ社への登山口は判り易い。古楼から力里渓を渡り丹林に到る橋の袂奥にある。そのやや上流側には車を通さない丹林吊橋が掛かっている。登山口には手作りの指導標があるが、何処に到るのかは示されていない。が、棚集山(標高899メートル)への登り口である。棚集とはタナシウの日本語読みの漢音訳であるから日本時代も同じ表記をしていたかと思う。この山の存在は以前から知っていたが、台湾小百岳に指定されているのを知ったのは最近になってからであり、且つ、登山道中に石板屋が残っているのを知ったのも最近である。私は勝手にこれをブツンロク社と考えていたのだが、旧両社間は尖刀頭渓谷で隔てられていることを今回理解した。

マンゴー畑の中を貫く登山道は登り一方でかなりきつい。途中休憩に適した平場が二箇所あり登山口から約一時間でタナシウ社には着いた。規模の小さな旧社であることが見て取れる。森丑之助の「生蕃行脚」の中でも一箇所だけこの旧社の名前が出てくるだけで具体的な紹介は無い。登山道より僅かに外れているだけなので、登山途中に休憩がてら立ち寄る人は多いと思うので、旧社が完全に薮の中に埋没してしまうことはなさそうだ。但し、途中「石板屋」の小さな標示板を何箇所かにあるにも拘らず、特定の旧社名が記されたものはないので、ここが旧丹林村であることに普通の棚集山への登山者は気付かないだろう。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | パイワン族秘道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
旧クナナウへの古道脇で膝位の高さで50p×50p程の石板が載った構造物を見ました。重い荷物をそこに載せて休む所だそうです。石板屋の入り口前にも建物に接して同様のものがあります。右側の写真の台はそれにとてもよく似ています。どの位の大きさでしょうか?
Posted by メイウェンティ at 2009年10月17日 17:21
メイウェンティさんの言われる通り、50センチ四方の大きさです。仰るとおりの利用法なのかもしれません。既に殆ど跡形のない住居跡の正面に設えてあったので、その意味と利用法を考えてみたまでです。そこだけわざわざ残したのか?或いは、最近設えたのか?(了)
Posted by 玉山 at 2009年10月18日 07:56
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