【写真説明】「生蕃行脚」の終点になるカピアガン社(現泰武郷佳平)、クワルス社(同泰武)については既に以前の記事で紹介済みである。プンティ社(同佳興)旧社はまだ訪ねる機会が無い。現在のプンティ社で旧社に入るのにどのくらい掛かるか?と聞いたら、さあ、相当掛かると言われたので当時は諦めた。左、中央写真はその現在のプンティ社の道路脇に立つモニュメントと集落。「プンティ」の文字が読める。中央写真右奥稜線の最高点は戸亜山(標高985メートル)、戸亜とは「トアアウ」の漢音訳で、トアアウ社のあった場所、今は大後社と呼ばれている。「生蕃行脚」の中には出て来ない。その稜線の更に奥、雲に隠れた部分が来社山(標高1,854メートル)である。トアアウ社については追って紹介する機会があると思う。右写真は、現在のクワルス社(泰武)の派出所付近から北大武山を望んだものだが、下掲の記事中にある「正に屏風の如く立ち上がった」様は表現出来なかった。本ブログ中にも大武山の写真は相当数掲載してきたし、ブログ「台湾百岳」に掲載した写真で我慢して貰うしかない。
[結び]
「生蕃行脚」は、プンティ社(現泰武郷佳興)、カピヤンガン社(同佳平)、クワルス社(同泰武)の紹介で結ばれている。このうちカピヤガン社、クワルス社は北大武山への登山口に到る舗装された自動車道(泰武郷郷道106号線)脇に遺構があり、案内人を頼まずとも誰でも簡便に立ち寄れる。特にカピヤガン社の場合、旧社跡は丁度住居跡が区画整理の役割を果たすような格好で畑になっている為、旧社の規模がどれくれらいであったかが明瞭に判る。加えて、最近頭目の住居と司令塔たる露台が復元された。これまで紹介してきた旧社は往時どのくらいの広がりであったかを想像するのは旺盛な草樹木に遮られ極めて困難なだけに、カピヤガン社遺構は非常に特殊な例で、私が見たパイワン族旧社遺構では最大規模のものだ。プンティ社跡は、クワルス渓を挟みカピヤガン社の真向かいにあり肉眼で僅かに確認出来る。
1900年の踏査行の際、森丑之助はプンティ社から「パイワン蕃人の発祥の地とし、又彼等の死霊のこの山に還ると云ひ、信仰的にも崇敬せる霊峰」である大武山への登攀を試みるのだが果たせなかったと述べている。郷道106号線を現泰武村まで上がった後の道路上からは正に屏風の如く立ち上がった台湾中央山脈最南の三千メートル峰である大武山が眼前に立ち現れるのだが、何故パイワン族にとり大武山が聖なる山で在り続けるのか感得できる瞬間だ。(>(メルマガ「台湾の声」2008年10月18日掲載分の一部を改編)終わり)
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