【写真説明】左写真はパイルス社の頭骨架(首棚)を目指し草叢を進む。中央写真はその頭骨架。私自身初めて見た台湾原住民族の頭骨架であるが、最早原型を殆ど留めていない。右写真はボガリ社への連絡道入口付近に設けられた見張り台だが、現代の来訪者向けのアトラクションみたいなものだ。ボガリ社への連絡道はご覧の通りで現地の案内人無しではとても入り込む気にはならない。
[パイルス社](白鷺社、現屏東県来義郷南和へ移遷)-3
クナナウ社、ボガリ社への連絡道も標示されていたのは、恐らくは「生蕃行脚」の影響と思われる。森丑之助はこの後紹介するボガリ社を起点にパイルス社との間を往復しつつ、クナナウ社を訪れる機会を狙っていた旨の記述があるからだ。加えて、ボガリ社への連絡道入口脇の樹木の上に見張り台が設えてある。パイルス社は当時「人口も少なく而かも強大なるリキリキ社と敵対するが故に(中略)、物見台を作り壮丁をして見張番をさせて」いたという記述に拠ったものだと思う。理事長の元々の計画は、土曜日にブツンロク、ボガリ両社に入り、そらからボガリーパイルス社間の連絡道を歩き、パイルス社で一泊、日曜日はそのまま下山するというものであった。
標示板の真新しさと設置箇所の多さを看るにこれまで私が訪ねたパイワン族の旧社の中では最も外部に解放しようという意識が強そうである。但し、幾ら旧社へ到る道路が舗装してあるからと云って個人で車を運転して入るのは危険である。又、その祭場の多さ、狩猟の為のわなの多さを考えたら、必ず原住民の案内人を雇うべきである。
この夜は、文楽国民小学校に露営した。(>(メルマガ「台湾の声」2008年10月15日掲載分の一部を改編)終わり)
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鳥居信平技師の偉業を多くの台湾人へ説明しました所、全員が非常に感銘して呉れて私自身嬉しくなりました。
また6月27日二峰「土川」(4)では国民小学校の図書館に仮安置されていた許文龍さん制作の胸像が喜楽發發森林公園の入り口直ぐ右手の最も良い場所に立派な石組みの台座が作られ、その上に正式に永久安置されていました。
写真も撮って来ましたのでお望みなら送りますので申し付け下さい。
今後とも台湾古道のページを楽しみに期待しています。
コメントいただき誠にありがとうございました。そうですか、やっと日の目を見たということですね。喜ばしいことです。写真を是非拝見したいと思いますので、何卒宜しくお願い致します。尚、同時にその写真を本ブログでも読者の皆様に紹介したいと思いますので、そのご許可をいただければ幸いです。
今後とも何卒宜しくお願い致します。(了)