【写真説明】左写真は、現在のブツンロク社、来義郷文楽村にある屋根付き村民集会場の奥に掲げられた巨大なレリーフ。パイワン族を象徴するすべてが盛り込まれている。右二枚は文楽村の朝と夜。
[森丑之助と「生蕃行脚」]-2
リキリキ社、ライ社、クナナウ社に関しては、以前の投稿の中で「台湾の声」の読者には紹介したことがある(「浸水営古道」と「崑崙拗古道」を参照)ので、今回は森丑之助の言う「パイワン族蕃社の頭骨架(註4)のうちでも最大なるもの」を嘗て擁していたボガリ社と、ボガリ社に隣接する来義郷内に残る旧社遺構の核心部を為しながら台湾でも殆ど紹介されることのない、パイルス社とブツンロク社を中心に紹介していく。「生蕃行脚」の中でこれら三社は「地理上の関係のみでなく、歴史的からもこの三者には一つの連盟が成り立って居り、頭目なり有勢力者間とも親族関係のつながって居るものが少なくない」と説明されている。
これまでだと、とにかく現地(現村落)まで行けば旧社に辿り着く手掛かりがあろうと何はともあれ出掛けるのが常だったが、しっかりした山行記録でもない限りそうそう容易には旧社には辿り着けない。加えて、余所者(よそもの)である私が原住民の先祖伝来の地に妄りに足を踏み入れるのは非常に失礼な話だということに漸う気付き、今般これら来義郷のパイワン族旧社の核心部を訪ねるに当たり初めて原住民のガイドを頼むことにした。来義郷郷公所(来義郷役場)に問い合わせたら、文楽村に住む屏東県原住民生態環境保護登山協会の尤振成理事長をすぐに紹介してくれた。(>(メルマガ「台湾の声」2008年10月15日掲載分の一部を改編)次回へ続く...)
註4:「頭骨架」の単語は「生蕃行脚」中の表記に従った。パイワン族等の台湾原住民が「出草」(首刈り)で得た頭顎骨の主に石組みに依る陳列棚。東京大学総合博物館の「東アジア・ミクロネシア古写真資料画像データベース」に収用されている頭骨架の写真には「首棚」のキャプションが付けられている。検索すると9枚が出てくる。そのうち「ボカリ社」のキャプションがあるのは2枚だけだが、残りのうち4枚も同社頭骨架だと思われる。
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