【写真説明】左一枚目は、2003年2月当時、宜蘭庁長官舎周辺に残されていたぼろぼろの日本家屋の一例。二枚目は、復元された宜蘭庁庶務課長官舎、2009年5月の撮影。同じ家屋かどうかは自信が無い。三枚目は、宜蘭庁長官舎付近に残されていたもともとは日本時代建設の監獄の外壁。奥は監視塔。同じく2003年2月撮影。付近の再開発にも拘わらずこの監視塔は廃棄されずに今はモダンな多目的コンプレックスの横に移されていて驚いた。同じく2009年5月撮影。
[宜蘭市-2]
もともと復元・開放されていた宜蘭庁長官舎周辺に残されていた日本家屋の復元状況が余りにも見事だったので、もう一回記事を追加して紹介することにした。
宜蘭市街を通過することは多いが、目的地は市街北部の礁渓温泉であり、市街地を散策したのは過去六年ぐらい無かった。今年になり「宜蘭設治記念館」を再訪し驚いた。当時は、庁長官舎のみが復元・開放されているだけで、周りにはぼろぼろの日本家屋が散在していた。今や、これらの日本家屋が、宜蘭庁官舎区、宜蘭庁庶務課長官舎、宜蘭農林学校校長官舎という具合に前歴を明らかにした形で復元され、多目的な用途に供されている。
修復・復元には金が掛かる。その財源の源は地場の経済発展ということになるが、台北圏と宜蘭市が山越えの道路ではなく、雪山トンネルを介し高速道路で直接繋がった経済効果の大きさを、日本時代家屋の修復・復元という現象を透かして想像してみる。ただ、宜蘭市そのもののポリシーも大きい。これは別な機会に書くつもりだ。
最後に、西郷隆盛の嫡男である西郷寅太郎も台湾と関係がある。前回紹介した佐野幸夫氏の「西郷菊次郎と台湾−父西郷隆盛の『敬天愛人』を活かした生涯」の中で詳しく述べられているが、これについては追って紹介する機会があると思う。横道に反れるのは今回で終わりにする。(終わり)
【関連する記事】
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−33
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−32
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−31
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−30
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−29
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−28
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−27
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−26
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−24
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−23
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−22
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−21
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−20
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−19
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−18
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−17
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−16
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−15
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−14
- 恒春卑南古道(阿朗伊古道)−13

