2009年05月09日
蘇花古道−14
【写真説明】蘇花公路・和仁休憩所から僅かばかり蘇澳方面に戻るカーブ脇に道路建設に因む殉職碑が二基並んで立っている。左写真右側の碑が戦後のもの、左側の碑が日本時代のものである。右写真はその日本時代の遭難碑の拡大写真であるが、あれれ?である。「(中華)民国十一年立」、「民国四十六年修復」とある。民国十一年立、つまり大正十一年(1922年)設立ということだが、良心と考えるべきか?傷みが酷かったので修理してあげましたという意味だろうか?因みに民国四十六年は昭和三十二年(1957年)である。同写真上部を見ると判るが、日本時代の碑が僅かに頭を覗かせている。大正時代設立時は、五十一名の犠牲者の冥福を祈ったものである。同写真左奥に写るのは、和仁休憩所の駐車場である。
[清水断崖−2]
和仁休憩所から蘇澳に少しだけ進んだ場所に、前述した日本時代と戦後の殉職碑が並んで立っている。
ところで、日本時代の臨海自動車道を含め自動車道旧道を観察出来る場所は、匯徳遊歩道以外にもトンネルの前後であれば大概可能だが、道路が狭い上に、特に休日は車の量が多く、専用の駐車場は設けられていないので、指定された休息所・遊歩道を利用すべきことを付記しておく。
清代の古道は営盤として点でしか残っておらず、日本時代の東海徒歩道→臨海自動車がそのまま現在の蘇花公路に受け継がれたとすれば、本来の意味での現在も辿れる蘇花古道とは何か?ということになるが、それが県住民管理道、つまり「理蕃道」だ。
但し、蘇花古道に関しては一般のハイカー向けに整備された部分は僅かな部分に過ぎないし、筆者自身もこれまで残念ながら実際歩く機会に恵まれていない。そんな中で最近よく山行記録を見掛けるようになったのが、石[石/空]仔歩道と通称される理蕃道で、嘗て同名の駐在所が置かれており、匯徳トンネルと崇徳トンネルとの間を結んでいる、上述のどちらかの休憩所に車を停めて歩くことが出来る。但し、距離4キロ、高度差約300メートル、歩行5時間とされているので、ハイキングというわけにはいかないようだ。この高度差はトンネルからの高度差なので、当時の清水断崖付近の理蕃道は今の蘇花公路より遥か上を通っていたことになり、恐らく後山北路も同じように高い位置に開鑿されたことが想像される。(メルマガ「台湾の声」2007年6月16日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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