2009年04月25日
蘇花古道−12
【写真説明】グークツ駐在所。こういう形で日本時代の駐在所が残っていることは甚く驚いた。最初に訪ねたのが2006年10月、その時は次回も必ず寄るからと約束し、翌年の旧正月2007年2月に再訪したが、お孫さんを連れて帰省していたお嬢さんが出て来て「母は花蓮の方へ出掛けている」とのことであった。その後当地まで足を運ぶ機会が無い。早いものでもう二年を経過した。
[グークツ](現代地名:和平、和中)(タイヤル語地名日本語表記漢音訳:姑姑子、台湾語音訳:牛窟等)
蘇花公路を蘇澳側から走ってきても、花蓮側から走ってきてもこの一大工業区に入ってくると皆一様にがっかりする。台湾政府がこの地をセメント産業専用の工業区にし、和平港をその専用積み出し港とする、所謂「水泥産業東移」計画が立てられたのは1980年代後半。1990年代に実行に移されていく。原住民族の土地の強制徴収、養殖真珠等海産資源・珊瑚礁の死滅等々、物議を醸して来た場所だ。
この工業区の横を抜ける公路が和平、和中の街を抜けて登りに掛かり、最初のトンネルである和平トンネルに入る少し手前に、青いペンキで塗られたグークツ駐在所が当時のまま残っている。蘇花古道上で日本時代の駐在所が当時のまま残っているのはここだけだ。しかも、まだ当時警察官だった方の奥さんの方が存命である。旦那さんの方はパイワン族、本人はアミ族なのだそうだ。
二つのトンネルを過ぎると再び下りに掛かり、良里渓(日本時代はカナガン渓)を渡り、もう一つのセメント工業区、和仁に入る。日本時代のカナガンである。駐在所跡とおぼしき場所に行ってみたが、全く手掛かりはない。和仁を過ぎるといよいよ蘇花公路、即ち蘇花古道の核心部、清水断崖に入る。(メルマガ「台湾の声」2007年6月16日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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ありがとうございました。いいえ、初めて見ました。
先日、蘇花公路を走る機会がありました。この駐在所も含め海岸沿線は先の台風で壊滅的被害に遇い、裏山が崩れて土砂が家屋に流れ込み、いまだに土砂撤去作業に皆さん忙しいでした。
タロコ内も殆どの歩道が封鎖され、加えて中横沿線の崖崩れも箇所も多く、多分台湾政府の勧告だと思うのですが、週末にも拘わらず中国人観光客を載せたバスは皆無。休日でこのように閑散としたタロコは初めて見ました。(了)