2009年04月04日
蘇花古道−9
【写真説明】蓬莱国民小学校から少しだけ朝陽海岸側へ道を辿ると震安宮という大振りの廟があり、その横に今は贅沢に小屋掛けして「羅提督開路碑」が祀られている。左写真奥が震安宮、道路脇のコンクリート製の祠の中に碑が鎮座する。右写真を見ると碑はレプリカのように見えるが、オリジナルのものである。その碑文の全訳を紹介しようと試みたが、筆者の漢文力では読み下せない部分が多く、諦めた。その中に以下の一段があり、通常二字の熟語(斧斤、階級、[石/周]堡、説招)をぶつ切りにしてあるが、道路開鑿に当たり原住民の攻撃、撫順に如何に苦労したかを描く為の、一種の強調句法なのだろうと想像するのだが(旧漢字は改め、句読点を加えた)?:「...兇番伏戌大為民害、大春徴募済師斧之斤之階之級之[石/周]之堡之、叉従而以番説番招撫之...」。尚、碑文では原住民を表すのに「蕃」ではなく「番」の字を充ててあることが判ると思う。
[南澳]-2
旧浪速を通る自動車道を南澳の街に折り返すと、街の中心部に入る少し手前に震安宮という廟がある。この廟の横に真新しく小屋掛けした祠があり、そこに通称「羅提督開路碑」が安置されている。これが後山北路開鑿に纏わる現存する三基目の碑だ。
台湾のサイト上に掲載されてるこの祠の写真は改装以前のものが多く、加えて道路上には表示が無いので、容易に見落としてしまう。碑文は、蘇澳から当時大南澳と呼ばれていたこの地まで如何に苦労して道路を開鑿してきたかを縷々述べたものであり、その苦労の原因として原住民襲撃と疫病が挙げてある。歴史遺産となるべき古蹟とは考えるが、現役の信仰対象として改装された祠と、レプリカかと見紛う程に新たに塗り替えられた碑文の金文字に、地元民の篤さを感じさせられる。(メルマガ「台湾の声」2007年6月15日掲載分の一部を改編:次回へ続く)
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