【写真説明】『水の古道』というカテゴリーを設け、そのカテゴリー下に入る記事を整理している最中に、今は高雄県の古蹟に指定されている美濃水橋の設計者、岡田安久次郎の碑文は「改竄」されていると過去の記事で何度か言及しながら、実はその碑自体の写真を未だ掲載していないことに気付いた。実に間の抜けたことをしたものだ。それでもう一回美濃水橋の記事を掲載することにした。但し、ここに掲載する写真は当時土砂降りの中で撮影したものなので写りが悪い。勘弁して貰いたい。
左写真は水橋の袂に立つ「水橋改築記念碑」、中央写真はその裏側に刻まれた碑文。改竄は稚拙なのだが、読者には判りにくいと思うので解説をしておく。碑の元々の全文は以下の通り:
「大正拾五稔五月起工 昭和三年四月竣工 設計監督 技手 岡田安久次郎 工事仕立人 天野政一」
さて改竄されている部分は起工・竣工の年号である。「大正」と刻まれた部分にセメントが塗りこまれ「(中華)民国」に代えられているが、大正の年号と中華民国年号は偶々一致している、つまり、大正十五年=民国十五年(1926年)なのである。それでそれ以下の数字は運良くそのまま使えたわけである。さて苦しいのは竣工の年号である。大正は十五年で終わったので、昭和に入ると中華民国年号とは合わなくなった。昭和を塗りつぶしたのはいいが、「三」の真ん中の一を塗り込め、上下の一に短い縦棒を通して「十七」と代えている。これだと辻褄が合う。
右写真は、水橋を渡ってきた水が美濃の街中に流れ込む様子である。今でもこの水路端で洗濯が出来る…というのは冗談である。(終わり)


発電所で使用した水はごみもないでしょうし、炊事場の延長としての水路は重宝だったのでしょうね。
・・・と、本当にこの矩面の傾斜の意味は生活利用のためですか?
実は写真を注意深く見ると判るのですが、水橋の出口に当る写真手前の水路には水は殆ど流れていません。その時偶々そうだったのかもしれませんが。(了)
「水路には水は殆ど流れていません」、そうですね。言われてみれば、水面に雨の落ちる跡が見えませんし、ごみのようなものが浮いているのではなく落ちていますね。
水橋の出口と言うのは『水の古道』美濃水橋(1)で紹介された水橋の出口ですか?そして、水は水橋を如何通っているかについてですが、橋の下に太い鉄管が懸垂されているとイメージしました。如何なのでしょうか?それとも、この(4)の写真の橋には橋桁の脇にパイプが水色の鉄棒で吊られていてその左には水量コントロールのコックのような物も見えるのですが、この様なものなのでしょうか?ところで、この水色のもので吊られている物がパイプだとしたら何の水(?)なのですか?また、橋の向こう側からは水があるという事とこのパイプらしきものと関係がありますか?
聞きそびれていましたが、橋の手前右岸にレンガの土台の白っぽい屋根の付いた様な建造物がありますが、何ですか?
美濃の水橋は実に可愛い短い橋ですが、八田與一の嘉南大[土/川]を構成する水路にも大規模な水橋は使われており、現役のものを見たことがあります。その構造とそこを流れる水量は美濃のものの比ではありません。
写真に写る橋の袂に掛かる水管(?)は水橋とは関係ないはずです。叉、水路右岸の家が何か?私には判りません。(了)
建造物は家ではなく、橋の右手前にあって橋に重なって写っているものです。