2009年02月14日
蘇花古道−5
【写真説明】筆者は神社の専門家ではないので、高台に位置するという意味では蘇澳のよく知られた観光スポットである砲台山の神社遺構は単純に「こんぴらさん」と呼んでいた。これ自体は間違いないのであるが、新ためて台湾のサイトを見ていたらそのどれもが「金刀比羅神社」と記してある。あれれ?である。日本語パソコンで「こんぴら」の自動変換は「金毘羅」である。なら「金刀比羅」は何と読むのかしら?日本人として恥ずかしい限りである。要は金毘羅神社、或いは金毘羅宮として日本全国津々浦々に留まらず台湾にまで渡って来た神社は、香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本社とし、大物主神(おおものぬし)を祀っているのだそうだ。今回の記事を書くに当り初めて知った次第だ。
「ことひら」とタイプし自動変換すると「金刀比羅」と「琴平」の二つが出て来る。日本人の常識のようだ。蘇澳のこんぴらさんは今は台湾でも日本でもよく知られているので、これ以上は触れない。砲台山はこんぴらさんの遺構を利用した様々なオブジェが見られる。左写真はそんな一枚。砲台山はもともとは蘇澳郷公所が整備したのだと思うが、何故かライオンズクラブと蘇澳+沖縄県八重山の青年会議所が強い存在感を示している。右写真の碑は、嘗て刻まれていた文字はすべて削り落とされ、何の案内板もないが、建立以降これまで打ち倒されもせず残っているので逆に不気味な感じがするのだが、日本時代の建てられた「警察殉職記念碑」だということだけは判っている。
[古道の起点・蘇澳の現在]
蘇花古道沿いの景点を眺めていく前に、古道の起点である蘇澳に関して概観したい。というのは、古道の終点である花蓮について紹介される機会が圧倒的に多いのではないかと考えるからある。とはいっても、最近では日本人の観光客でも蘇澳と言えば、冷泉、ラムネ、下駄等をすぐに連想される方も多くなってきたのではないかと思う。又、日本時代の遺跡として現在は砲台山(砲台自体は清仏戦争時、清軍によって築かれたもの)と呼ばれている金毘羅神社跡もよく紹介されている。
蘇澳の中心は蘇澳湾に面している。実際は、三澳と呼ばれる北方澳、蘇澳、南方澳が蘇澳湾を取り囲んでいる。蘇澳湾は漁港、商業港、軍港を併せ持つ総合港湾で、商業港としての蘇澳港は基隆港の補助港として機能している。1970年代に台湾政府は「十大建設」を指定、工業化の為のインフラ整備を目指すのだが、蘇澳港の拡張と北廻鉄路の敷設はこの十大建設の中に含まれいた。
蘇澳港に隣接する南方澳港は、日本時代は当初商業港として開発される予定だったらしいが、それが花蓮港に変更された為、漁港として開発されたという経緯がある。現在では、屏東県東港、台東県成功港と並ぶ台湾三大漁港(或いは、三大遠洋漁業基地)の一つだそうだ。蘇花公路は蘇澳の市街地を出るとすぐに登りに掛かるのだが、一旦坂を登り切った南方澳の上部から眺める南方澳の独特の地形、港湾構造、船舶、町並み、蘇澳湾を取り巻く山と海、更に沖合いの亀山島の取り合わせは、天気さえよければ、現在の蘇花古道上の白眉である。
内陸側に目を転じると、蘇澳はセメントの町でもある。蘇澳駅から台湾水泥(台湾セメント)の巨大な蘇澳工場への引き込み線が走る。台湾の現在の台湾セメントの前身は殆どが浅野セメントだが、この蘇澳工場は台湾化成工業株式会社が前身だ。蘇花公路を南下すると各所でセメント工場、セメントの原料となる石灰石の採掘場が目に付く。実際、蘇澳鎮は鎮、郷単位では(「鎮」「郷」は台湾の行政区分、日本の郡あたりに相当)は台湾最大のセメント工業基地と謂われている。
今回の記事までは蘇花古道の概観を紹介したので、次回以降は古道上の各景点を特に古道の観点から北側から順次紹介する予定である。(メルマガ「台湾の声」2007年6月14日掲載分の一部を改編:終わり)
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