【写真説明】墾丁国家公園の海岸線核心部を俯瞰出来る大山母山(標高325メートル)山麓の草原。この山麓から撮影した写真はこのシリーズの中で既に何枚か紹介して来た(シリーズ6、15、17に掲載写真を参照)。中央写真は南仁湖の南側に位置する[土/卑]亦山(同363メートル)中の草原。この草原中の小さな沢近くでスッポンに出会い非常にに驚いた。屏東から恒春に掛けての山中では相思樹の「群生」をよく見掛ける。これがパイワン族に依る長年に渡る植樹の結果とは思いも寄らなかった。相思樹木の中を登山道が通っているば実に気持ちの良い登山を約束してくれる。右写真は屏東県来義郷丹林村にある棚集山(同899メートル)への登山道中にある相思樹の大木に囲まれた休憩所。写真に写る夫婦連れは思い思いに新聞を広げている。尚、「棚集」はパイワン族タナシウ社の日本語漢字音訳である。
何故恒春半島には山中忽然と草原が立ち現れるのか?森丑之助の「生蕃行脚」の中に以下の下りがある。少し長いが数箇所から引用する。文中「此方面」とは主に恒春半島のパイワン族居住地を指す:
□此方面の蕃人は漢人の教を受け古くより斧や鑿、鋸の類を使用し、自家の建築にも用ふる計りか、蕃産物として出す木材も漢人の用途に適すべく、牛車材、犂の板、建築材と適宜造材し、其他雑材はこれを薪炭材として搬出する。
□此方面一帯のパイワン族蕃地は、土地の割合に蕃人の数が多い。夫れのみならず所謂蕃人的文化が他に比して著しく進んで居る。これを以て彼等は生計の余裕は他地方蕃人よりも乏しかった。故に蕃山の材木を造材して搬出する如きことまで為したもので、これは他の方面の蕃族では全く見ざる所である。夫れ故に此方面一帯の山地は古来蕃人に依る乱伐の結果自然林の荒廃して草生地に化した場所が多く、全島の蕃地のうちパイワン族ほど草生地の多い所は無い。
□材木を伐採して物品交易の材料に充てしことの盛んであったかが窺はれるのである。パイワン蕃地に於ける相思樹林の如き又は竹林にしても、山中にある檳榔樹、蒲葵、榕樹の如きも概ね彼等蕃人の祖先に依って移植されたもので、これ等は自然の材木ではないのである。
これだけの説明をされれば、私がこれまで不思議に思っていたことが納得出来るというものである。(終わり)
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