2008年09月06日
玉山古道(新高山歩道)−5
【写真説明】これら三枚の写真は嘗ての阿里山森林鉄道の終点阿里山駅、今は沼平駅と呼ばれる駅周辺の桜の開花時の風景である。台湾人の桜を鑑賞する様が垣間見れると思う。すぐに判ると思うが、何故か赤い服を着ている人が多く、満開の桜と似合っていると言えばそう言えるかもしれない。2003年3月下旬の撮影である。中央写真の桜の木の後方が「祝山観日歩道」入口で、日本時代、鉄道が敷かれた当初は登山客はここから新高山を目指して歩き出した。
[阿里山森林鉄道と玉山登山]-1
八通関ルートとタータカ・ルートの「表銀座」、「裏銀座」の関係が逆転し、更に今現在台湾高山の登山道として最も整備・保護・管理されているタータカ鞍部を登山口とする玉山登山道が成立するまでの歴史は、日本時代の阿里山森林鉄道の建設、支線拡張、更に戦後の林業事業からの撤退という変遷と表裏一体、つまり現在の玉山登山道は阿里山森林鉄道の最終形態とも言い換えられる関係にある。
日本時代の阿里山鉄道本線の終点は今は旧阿里山駅とも呼ばれる沼平駅、現在台湾に於ける最も著名な桜の名所であり、新高山登山客もここまで鉄道を利用し上がってきていた。この駅構内脇に「祝山観日歩道」と名付けられた歩道の入口がある。祝山(標高2,489メートル)観日平台、祝山支線終点祝山駅までの歩道で、読者の中にも実際歩かれた方もあるかと思う。日本時代は当初ここが新高山登山の為の歩道入口であったことが当時の写真(注3)を見ると判る。
歩道竣工が1925年(大正14年)、新高山山頂までの距離が「七里十一町」と同写真に写る入口横の道標に記されているので、約30キロもの距離をてくてく歩き且つ登ったことになる。その後、阿里山駅より客車用線路を「児玉」(省道18号線上で阿里山遊楽区から約8キロ、現在の地名は自忠)、更に「新高口」(省道18号線上で自忠から約3キロ)まで延ばし、新高山までの歩行距離が約20キロまでに短縮されると登山客は爆発的に増えたそうだ。>(メルマガ「台湾の声」2008年1月2日掲載分の一部を改編)次回へ続く...
(注3)「玉山回首」曾恵香編撰、玉山国家公園管理処、1990年4月初版一刷
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コメントありがとうございます。うーん、そうかもしれませんが、撮影が3月下旬ですから旧正月からは大分経っているような?(了)