2008年07月26日
浸水営古道−17:帰崇段−1
【写真説明】浸水営古道西段最下段入口の写真二枚。左側写真は2003年3月の撮影。今はこの指導標は無くなり、代わりに中央写真(2008年4月)のものに取って換わられた。左側写真のものが一代目、中央写真の下側の案内板が二代目、その後ろの立派なものが三代目というわけである。右側写真はこの最下段の一風景。
以前のブログ記事で浸水営古道は現在二段に分かれて歩かれていると書いた。専ら歩かれているのは大漢林道(屏東県道198号線)を大漢山の直下まで車で登り詰め、そこから太平洋側へ向ってぐんぐん下っていく10数キロのコース。もう一つは枋寮郷新開村に入口を持つ古道西段の最下部、凡そ3キロ程度のコースである。この二つのコースの間は大漢林道が繋ぐ形になり、大漢林道も嘗ての古道であった、と書いた。しかし、これは正確な表現ではないことが徐々に判ってきた。古道西段入口付近の概念図はこのダイアグラムを参考にして欲しい。
古道西段最下段入口と大漢林道入口はそれ程離れていないが、コースは異なる。但し、途中で出会う。この出会をそのまま真っ直ぐに進めば林道6キロ地点の検問所に出るのだが、今は林道は大きく迂回して検問所に到る。初めてこの古道最下段を歩き出会まで達した時は、丁度その迂回道を建設中であり、この迂回道が古道の続きだと見当を付けて歩き出したのだが、出会までは古道であることを示唆する標示を何箇所かで見掛けたにも拘らず、その後は全くなく散々歩き廻り結局検問所に出た。出会から検問所までの直線道は旧林道でありコンクリートで舗装されてはいるが、古道である。
森丑之助の「生蕃行脚」にも浸水営古道の紹介がある。少し長いがそのまま引用する:
「此浸水営越えの道路は往昔より東部蕃人が、西海岸の枋寮に交易に通ふた南部唯一の東西連絡の蕃路であったのを、後に支那人に依りてこの南路を開鑿された。(中略)明治二十九年我陸軍はこの旧道を改修し、これを軍路に充て且つ電信を架設した。恐らくは日本人の手に依って台湾の山地、五、六千尺の高地に道路を開修したと云ふことはこれが嚆矢であろう。新開庄から先の山路は概ねリキリキ社蕃人の労役に成り、其後も此道路に依って郵便の陸送をやったが、この逓送人も総てリキリキ社蕃人に依って中央山系の西半面の逓送を為して居ったものである。本島に於ける中央山脈の横断道路のうち、領台の当初から最も実用的に使用されて居るのはこの一線に過ぎない。」(筆者註:「枋寮」の「寮」は原文ではくさかんむりがある)(次回に続く)
この記事へのトラックバック
西豊穣さん:
今日は。
わたしは、台湾高雄出身のSandy Miao(苗文玉)と申します。今、高雄に住んでいます。
今年、阿里山における山美村と茶山村の観光資源について、いろいろ調査を行ったきっかけで、原住民の狩猟道の魅力を発見しました。ますます台湾の古道のことに興味を持つようになりました。ハイキングにこっているわたしは、週に一回ぐらい、高雄柴山にハイキングに行ってきてから、もうすぐ二年になります。龍泉寺の歩道、元亨寺の歩道、西子湾の歩道などを歩いたことがあります。
今月の上旬に、日本の熊野古道における馬越峠段、白川郷、五箇山郷の散策歩道を歩いてきました。とっても楽しかったです。感動させた景色が記憶に残っています。わたしは、その素晴らしい体験を阿里山山美村の村長さんと村民たちに伝えたいと思います。それをお手本として阿里山山美村の狩人古道を世界の人々に紹介できればいいなと思い始めました。残念ながら、阿里山山美村は、まだまだ開発されていない地域なので、村民たちは、自分のふるさとの魅力や世界遺産への考えを持っていません。宝物だと思わないらしいです。村民たちは、観光客がいっぱい乗るバスのほうが興味があるらしいです。ですから、これから、ボランティーアとして、もっともっと正しい観念を伝えたいと思います。彼らのためだけじゃなくて、次の世代のためのです。
これから、「故郷は地球だ!」という信念を見守っていく責任を背負い始めるということです。さらに、台湾の魅力をみせたい!自分の故郷を守りたいと気持ちで社会奉仕のつもりで、自分のふるさとのために、自分の有意義な人生のために、世界遺産の熊野古道をお手本として狩人道を守り続けて、その魅力を発見して、人々に紹介したいと思います。自分の力は、小さいですが、人間社会を向上させるや地球を守るための運動に繋がる確実動きだと思います。
わたしは、台湾の古道を通して、西豊穣さんと知り合えれば、幸いと思います。西豊穣さんを阿里山山美村の狩人古道へ連れていきたいと思います。一緒に世界の人々に台湾の古道の魅力を紹介してみたら、いかがですか。
わたしは、MIXIにHPを持っています。興味があれば、お立ち寄りください。
とても長い日本語のコメントをいただきありがとうございます。綺麗な日本語ですね。驚いています。ところでJ,s(傑世)という補習班をご存知ですか?
私は仕事の関係で今は殆ど大陸蘇州の方に居り凡そ一月に一遍の割で高雄に戻ります。苗さんのよく行かれる柴山は私の登山のトレーニングの為の山です。
阿里山は最近では玉山古道の踏査の為に出掛けました。阿里山は高雄からでは少なくとも三時間は掛かりますので、どうしても足を延ばす機会は少なくなります。阿里山周辺に出掛ける場合は、何時も十字路の派出所に露営しています。阿里山周辺はツォウ族トフラ社ぐらいしか知りません。これから時間さえあれば出掛けたいところですが。
ところでMIXIの苗さんのHPにアクセスする方法はどうすればいいのですか?教えて下さい。(了)
今日は。
お返事ありがとうございます。
台湾古道を通して、西豊穣さんと知り合って、とってもうれしいです。わたしは、西豊穣さんのように、古道に情熱がいっぱいあります。
今年、阿里山のツォウ族山美村における付近の鬼山を狩猟していると「獣道(けものみち)」を発見しました。崖、滝、竹林、渓流、野生動物などいろんな大自然の素顔が楽しめる道なんです。昔から狩たちは様々な工夫をして、動物を捕らえて生活してきた道です。鬼山をめぐっていろいろな面白い昔物語も残っています。
わたしは、六月の下旬に、地元の元村長さん(高さん)と一緒に踏査に行ってきてから、そのすばらしい道の面影がいつも心に留まっています。高さんも「もっとすばらしい道が残っていますよ。それは、里佳古道です。その古道は、原始のままに残っている。興味があれば、一緒に踏査に行きましょう」と私に言いました。わたしも、その道を西豊穣さんにご紹介したいと思います。
わたしは、西豊穣さんのtaiwan-kodou@kanae-sk.comへMIXIの招待Emailを送りました。
ところで、わたしの家は、傑世塾の付近にあります。よく知っています。(笑)
それでは、また。
サンディー
返事遅くなりました。コメントありがとうございます。里佳古道ですか?達邦(タツバン、タッパン社)までは足を延ばしたことがありますが、随分前でその村の面影は殆ど残っていません。その奥の里佳村(角端社、タブトヌア社?)までは辿ったことがありません。これまでは高雄に近いパイワン族旧社の踏査に忙しかったので、今後是非行ってみたいですね。(了)
今日は。
わたしは、西さんのHPに書いてある「読者の一人でも多くの方が実際台湾古道を歩いていただきたいというのが私の願いである。「不思議な国」台湾の異なる側面が見えてくるはずである。」とい話に感動しています。西さんの行動力や情熱にも感心しています。わたしも、世界の人々に台湾古道の魅力を知ってほしいと思います。
ですから、胸がしみじみします。
わたしも、高雄に近いパイワン族旧社の古道にも興味があります。台湾の古道について、西さんの知恵をお貸ししたいことがいっぱいあります。これから、よろしくお願いします。わたしにお手伝いできることなら、いつも言ってくださいね。
機会があれば、わたしは、里佳古道や付近の獣道をご案内します。
それでは、また。
サンディー