2021年07月03日
蘭嶼−17
【写真説明】去る5月、2011年8月、2013年6月に続く、三回目の蘭嶼への上陸を果たした。初めて蘭嶼の地を踏んだ時には毎年行こう!と目標を定めたが叶わず、今頃になりやっと三回目になった。同島への渡航が日程的に制限されるのは、船便利用を前提にしての事である。一般的に4月初旬の清明節(中華圏のお盆と云う説明を聞く機会が多い)から9月の中秋節(十五夜)の間と謂れ、この期間を外してしまうと航空便しかないと云うことだ。毎回、目標とするものは異なる。最初は殆ど予備知識を纏わず渡航、どういう所なのか?先ずは初体験を楽しむこと。それに加え、本物の飛魚の飛翔を見ることにあった。度肝を抜かれたのは、持ち主は決まっているらしいが、野生化しているとしか思えないヤギの群れだった。離島する際、必ず登山対象になっている山があるはずだと踏み、次回の上陸の目標とした。二回目は目標通り、蘭嶼最高峰の紅頭山に登った。この山を選んだのは、最高点にして台湾小百岳の一座だったからだ。離島する際、次回はもっと登ろうと思った。三回目の上陸前の調査でこの周囲40`程度の島に20基の三角点があることが判り驚いた。最終的には、紅頭山への再登と大森山への登山をメインにして余った時間で出来る限り多くの三角点を確認することにした。大森山を選んだのは、紅頭山と同じく一等三角点が埋定されているからだ。この事実は、三回目の渡航前になり気付いたことだ。実は、見事な三角円錐形をした大森山の優美な山容は、既にこのカテゴリーの「蘭嶼−6 」と「&9」で、各々野銀(イワギヌ)部落からと蘭嶼測候所からの眺望を紹介済みだ。今回はこれら二回目の上陸の際同じく測候所からの大森山眺望を掲載した。この空の青さは正に墓場まで持っていきたいものだ。残念ながら三回目の蘭嶼滞在中に大森山山頂付近に雲の掛かっていない時間帯に当たらなかった。大森山西側になる青青草原越しの大森山パノラマも埋め込んでおいた。又、今回は大森山三角点に加え、蘭嶼南北端各々の三角点を紹介したい。(続く)
2021年07月10日
蘭嶼−18:大森山−1
【写真説明】左写真は蘭嶼の周回道路である環島公路を挟み青青草原の向い側に口を開けた大森山登山口への入口。同写真右側に木製の標示板が一部写り込んでいるが、「紅頭森林遊歩生態学園区」と記されている。この生態学園区入口が即ち大森山登山口なのだが、筆者の手元の市販地図には学園区の表記は無い。木製標示板は学園区名以外にも文字が記載されているが、長らく雨風に晒された為判読不能な箇所が多い。判読可能な部分には以下のような紹介が並ぶ(筆者拙訳):「現地の俗名は三條溝で三角山区に属する」;「重要な原生植物生長区」;「ヤミ族伝統の拼板舟専用樹種」;「蘭嶼島上、非常に貴重な生態保護園区」。これらの意味する所は追々説明する予定だ。大森山登山口イコール生態園区入口は左写真入口から僅かに辿った車道に掛かる忠愛橋袂にあり、そこから河床へ降りる部分が中央写真である。右写真はまだ生態園区内、登山道脇にある嘗ては屋根を頂いていたであろう東屋跡、行き当たった時咄嗟にヤミ族の祭場かと考えたのだが暫く眺めていて否定した。そこを過ぎると愈々熱帯雨林の世界となった。(続く)
2021年07月17日
蘭嶼−19:大森山−2
【写真説明】今回は登山口から半時間も歩かない内、まだ生態園区内で出会った巨木群を三枚並べた。尤も樹木の大きさを写真で表現するのは難しく筆者の技術では無理がある。精一杯努力している積りではいるとしか言い様が無い。又、生態園区を越えて山頂稜線に至る迄の急斜面で出会った樹木も三枚、この記事の最後に埋め込んだ。台湾テリトリー内の真の熱帯雨林を感じて欲しいと云う希望を込めているが。我々を大森山山頂まで引率してくれたガイドに依ると、左写真のこの地上根が大きく張り出した巨木は「台東番龍眼(樹)」、ウィキペディアを日本語に切り替えたら「マトア」、又は「タウン」と云うカタカナがでてきた。台湾観光の世界で三大果物はライチ(茘枝)、マンゴー(芒果)、龍眼と謂われるが、番龍眼も龍眼も同じムクロジ(無患子・木槵子)科である。「番」は恐らく「原」の意であると想像されるので山龍眼と言い換えられるかもしれない。フィリピン原産らしい。ウィキペディアに「別名ソロモンマホガニー。分類学的には高級木材として知られるマホガニー(センダン科)とは全く異なるが、比較的安価なこと、加工性に優れ腐食や磨耗に強いことや、木目や色調が似ていることなどより、マホガニーの代替材として住宅や家具に用いられる。」と云う部分がポイントである。
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2021年07月24日
蘭嶼−20:大森山−3
【写真説明】ネット上には最近の山行記録が公開されていたので、組し易しと思い込んでいた。現地ガイドには当初再登となる紅頭山への登山をサポートして貰おうと考えていたが、大森山登山を相談すると彼自身登ったことが無いとの事。その後直ぐに彼は先ず自分で登攀を試み、往復6時間を要したと報告して来た。山頂稜線に出る前の登山道傾斜は殆ど90度だったと云うコメントを添えて。自力での登山も可能と考えていたが、最終的には大森山登山のサポートを依頼した第一の理由は、ヤミ族の禁忌地域に踏み込まないように用心した為である。結局登山道上にはそういう場所が無かったようだったが、現地ガイドを雇ったのは正解だった。登山の前日に簡単な打合せに来てくれたが、ほんの数日前に再登し登り1時間半程度だったと云うのを聞き胸をなでおろした。そして3時間あれば往復可能と踏んでいた。しかし実際はとんでも無い登山と相成った。登山口と山頂の落差は僅かに450b、登山道総延長は片道2.5`程度なのだが、最終的には往復6時間を要した。逆に下りに時間を費やす結果になったのは、標高150〜450b間の連続する急登、特に標高200〜250bと同400〜450bの二箇所が酷く、中でも後者はほぼ垂直の低木と茅の壁を這い上がる羽目となった。今回は山頂稜線まで最後の50bの登りの景観、左写真は青青草原俯瞰、中央写真は下方から、右写真は上方から撮影した最後の登り。筆者自身の登攀の様子も埋め込んでおいた。(続く)