2020年02月01日
特富野古道−8:達那社−2
【写真説明】当時、トフヤ社と達邦社を同時に尋ね、その差が歴然としていたのは、以下の三点である:一つは達那社のクバの規模がトフヤ社のそれと比べ格段に大きいと感じた事、二つ目は偶々達那社の「戦祭」の前日であった事、三つ目は達邦社には日本時代の駐在所が復元されていた事である。それら各々を三回の投稿に分けて紹介したいと思う。まずは、達那社のクバ、三景。「特富野古道−6」に掲載したクバの構築案内だけでは、左・中央写真の撮影方角が判らない。只言えることは、左写真がクバ正面に向かい左側、中央写真が右側であることだ。何故この二枚の写真で正面、並びにその左右が判るかと云うと、右写真である。クバ構築案内中の「金草蘭」の達那社式鉢植えはクバ正面の左右に置かれるのだ。実はこの左写真を撮影した記憶が無い。実際はカメラを縦にして、左右の鉢植えを同時に写し込んでいることから、その前にトフヤ社のクバの案内板を読んでいたか?(通常筆者の性格からそれは有り得ないのだが)。いづれにしても不思議な一枚である。(続く)