2015年11月07日

パイワン族秘道―85(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)

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【写真説明】「大社地区概況図」の2007年(左写真)と2015年(中央写真)の比較。左写真を撮影後、丁度一年後にモーラコット台風が台湾を襲う。右写真は、現大社部落と旧社を結ぶ登山道案内板、2007年撮影。下掲左写真は、旧トアアウ社の居住状況を示した案内図と右写真はその拡大図、2007年撮影。当時、旧社跡は「大後部落旧址生態」園として整備され一般に開放されていた。
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2015年11月14日

パイワン族秘道−86(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−2

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【写真説明】左写真は、大後部落入口の自動車道脇に置かれたモニュメント。中央写真は大後部落全景。同写真向かい側に写る集落は屏東県泰武郷佳興村(プンティ社)、赤い橋梁の泰義橋はモーラコット台風後に架け替えられた。同写真右奥に写る尖峰は南大武山(標高2,841メートル)。右写真はモーラコット台風に拠る洪水に洗われた大後村東側の大河原。撮影者側に旧トアアウ社に至る農道入口がある。
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2015年11月21日

パイワン族秘道−87(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−3

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【写真説明】左写真は今回の旧トアアウ社へ至るであろう農道を歩き始めてすぐの場所にあったはずの、大後生態歩道、手元の市販地図『台湾全覧』では旧大後登山歩道、の西側入口の標示板、2007年撮影。前回の記事で書いたように、今回同登山口は見付けられず。約15分程、農道を進むと色鮮やかなトーテムポール似の南大武山山荘入口(中央写真)に着く。南大武山の登山基地として著名な山荘は此処か?とちょっとした達成感に浸るも、山荘そのものの在り処は判らなかったが、そのまま門を入ると、左手の土手に手入れの行き届いた農園を併せ持つ鉄板葺きの民家らしき建屋があり、ラジオの音声が聞こえてくるが、不在。ドアに手書きされた携帯電話に掛けると運よく女性が出てくれた。そのまま農道を四十分、いや二十分ぐらいかな?進むと、道路は平坦になり(右写真)それと判る旧社への入口に辿り着く、そこから数百メートルはいると旧社跡とのことであった。左写真の登山口案内板には、今読むと、全長八キロ、歩行時間三、四時間とあるから、わざわざ難儀して山道を辿らずとも、実は現在の部落と旧社は案外近い距離にあるという意味だ。同山荘門柱から農道をずんずん進むこと、約半時間でトアアウ社跡入口に着いた。(続く)
ラベル:台湾 台湾古道
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2015年11月28日

パイワン族秘道−88(トアアウ社:現屏東県來義郷義林村大後社)−4

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【写真説明】左写真は、駐車した場所から歩行約四十五分で辿り着いた、旧大後部落生態園、即ち、旧トアアウ社跡への入口を示すかなり傷んでしまった標示判。中央写真は農道脇に設けられた生態園への鉄製ゲート。そこから緩やかな坂を登り詰めると、旧社最下段の広場に出る。右写真は、その広場脇、緩やかな山裾に設営された旧トアアウ社住居群入口に立つ朽ち果てたゲート、「旧大後部落旧址文化生態」(園)の額が掛かる。
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